毒蝮三太夫
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毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、大阪府生まれ、東京都品川区、同台東区竜泉(三ノ輪)育ち。戦時中、横浜・戸塚に疎開。昭和・平成期の俳優、タレント。愛称は「まむちゃん」、「まむし」。東京都立大森高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。聖徳大学短期大学部客員教授。本名石井 伊吉(いしい いよし)。舞台や映画の子役から芸歴をスタートし、1960年代半ばまでは本名で俳優として活動していた。「毒蝮」という芸名は、出演していた「笑点」の当時の司会者立川談志が名付けたもの。
以前山瀬まみに「どくばらみたお」と言われたことがある
現在では俳優業よりもタレント業での活躍が目立つ。「おばあちゃんのアイドル」「巣鴨のスター」の別名を持ち、ラジオ番組では年配者相手に毒舌トークで人気を誇っている。しかし年月がたつのは早く、最近ではラジオ番組の公開生放送に集まる年配者より、むしろ毒蝮の方が年長だったりすることも多い。
立川談志と兄弟分であり、2004年の参議院議員選挙では、談志にテレビで誰に投票したかと聞かれ、上田哲に投じていた事が判明した。
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[編集] 毒蝮の口癖
以下はTBSラジオで放送されている「ヨークマートミュージックプレゼント」で毒蝮が客に対して言う口癖である。
- 「汚ねえ顔したババアだな」
- 「○○みてえな顔しやがって」(使用の一例:「バスコ・ダ・ガマみてえな顔しやがって」)
- 「くたばりぞこないが」
- 「(死ぬ前に)俺に会いに来たのか」
- 「(救急車が通ると)おい、迎えが来たぞ」(※毒蝮復帰後は大沢悠里が毒蝮に対して言う)
- 「南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏」もしくは「なむあびだぶ、なむあびだぶ」
- 妊婦に向かい腹を撫でながら「¥・。・、#「@\\())=’&’…ちょっとおっぱい触ります」(言葉に表現出来ないお経に近い言葉を続け、その中に適当な言葉を挿入する)
- 「(子供が騒いだり、泣いていたりしている場合)うるせえな、このガキャ」
- 自分(毒蝮)が言った人の悪口をおしつける様に「悠里ちゃんが言えって言ったんだよ」
- 「俺が○○ちゃんって言ったらまむちゃんって言うんだよ」「○○ちゃん」(「はーい」)「はーいじゃねえんだよ!俺の名前を言えよ」
- 何か卑猥なことやその場にそぐわないことを誰かが言った時に「オイ、よせよ」
- スタジオ内の大沢悠里やゲストとのやりとりが終了し、ヨークマート以外の訪問先に(毒蝮の履いている下駄の音がする。)入った直後「よぉーよぉーよぉー」
- 「そこから2日ぐらいかかってようやく到着するのね」
- まだ存命中の知人(有名人)に対し「惜しい人を亡くしましたけどね」
- 「○○って名前(苗字)はろくなんしかいねえな」(名前でなく住所の場合もあり)
- 常套句ではないが即興で歌をよく歌い、場当たり的な歌詞を入れたり特に自分の腸閉塞のことをモチーフにしている。
[編集] 出演番組
[編集] テレビドラマ
- ザ・ガードマン 第11話「現金輸送車襲撃」(1965年、大映テレビ室、TBS)
- ウルトラマン アラシ隊員 (1966年、円谷プロダクション、TBS)
- ウルトラセブン フルハシ隊員、その後、制作された続編では隊長から参謀に昇格 (1967年、円谷プロダクション、TBS)
- 以上の作品は本名の石井伊吉で出演している。
- ひらりNHK連続テレビ小説(1992年度下半期)
- 天花 NHK連続テレビ小説(2004年度上半期)
- ウルトラマンマックス 特別出演・警備員(2005年、円谷プロダクション、TBS)
[編集] バラエティ
- 笑点(二代目座布団運び・本名の石井伊吉で出演するも、ウルトラ警備隊隊員が座布団運びをしているのは変という子供達からのクレームが、日テレだけでなくTBSにも殺到したため、途中から毒蝮三太夫に改名し演じ分ける事に)
- ヨークマートミュージックプレゼント(月~金10:30-11:00 TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイドで放送中)
- 福祉ネットワーク(NHK教育 毎週水曜「目指せ!介護の達人」キャスター)
- 小堺一機のサタデーウィズ(TBSラジオ、2006年9月16日、ゲスト出演。)
- 土曜ワイド商売繁盛(土曜日 TBSラジオ、1985年4月6日~1988年4月9日)
- 談志・陳平の言いたい放だい(TOKYO MX、土曜11:00~12:00 準レギュラー)
[編集] 声優
[編集] 映画
- 長篇怪獣映画ウルトラマン
- 実相寺昭雄監督作品ウルトラマン
- ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説
- 真夜中の弥次さん喜多さん(映画 毒蝮三太夫 役)
- 男はつらいよ・寅次郎忘れな草(映画 浅丘ルリ子演ずるリリーの夫で寿司屋の板前役)
- ウルトラマンゼアス
- 甦れ!ウルトラマン
- ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影
[編集] CM
- NTTドコモ(ラジオ)「くりこし+ファミ割」篇、「らくらくホン」篇、「無料故障修理サービス」篇、「テレビ電話」篇、「エリア拡大」篇、「Welcomeサポート」篇
[編集] 補足
- 2005年10月8日にNHKラジオ第1放送『いとしのオールディーズ』にゲスト出演した際、毒蝮は家族が1923年の関東大震災で被災して父親が東京は危険だからと家族(両親と兄2人)で大阪に転居。やがて大阪で自分が生まれて、直後に東京・品川区(本籍)に戻ったと語った。
- 毒蝮三太夫という芸名は当初本人は嫌でしょうがなかったらしい。
- カニが嫌いである。その姿かたちが嫌いであるからと出演している番組の中で自ら語る。
- 芸名にちなんで、ファンから「マムシ酒」を送られることがある。
- 聖徳大学短期大学部客員教授に迎えられるほど、高齢者への関心が深い。レディス4に出演した際、ある生徒が実習中の老人ホームにて、寝たきりを決め込んだお婆さんへ、「死んだらずっと寝られますからね」と言ったら、その後起き出したというエピソードを語った。「毒をもって毒を制す」という芸風は、図らずも受け入れられたようである。
- ウルトラマンのアラシ隊員とウルトラセブンのフルハシ隊員を演じたことで、往年のウルトラファンからも愛されている。本人は、「当時は、ジャリ番(子供番組を低く見た表現)と言われたけど、熱心に演じたことが受け入れられたのだと思う」と喜んでいる。
- 赤坂泰彦は、「自分のDJは、ラジオから流れる米軍放送と毒蝮さんからの影響が大きい」と公言しており、笑っていいとものテレホンショッキングに次のお友達紹介で紹介されるほどである。
[編集] 腸閉塞による休業
- 2005年12月より「急に食欲が減り胃が張る」という体調の異常に気付き、迎えた大晦日にプライベートで静養中の鎌倉で急に胃の激痛があり、救急車で都内病院に運ばれ診断の結果「腸閉塞」で入院加療中であったが、2006年2月20日より、レギュラー番組である「ヨークマートミュージックプレゼント」の生中継で仕事に復帰している。(生涯でこれほどの大病は初めてだと語る)
- なお「腸閉塞」による入院加療中、レギュラー番組である「ヨークマートミュージックプレゼント」は、ピンチヒッターを招聘し、月曜は本人が病室より電話での出演、火・木曜は歌謡司会の玉置宏による”懐かしの昭和歌謡”を放送した。(美空ひばり、石原裕次郎、舟木一夫、橋幸夫、島倉千代子、テレサ・テン、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツ等)といった一日一人{一グループ}をテーマに当時のエピソードを朗々と語る)
- 同じく水・金曜日は毒蝮の出演時と形態が一緒だが、日本テレビ「笑点」に出演の落語家の三遊亭小遊三がピンチヒッターとしてヨークマートからの中継司会を務めていた。(尚、三遊亭小遊三の代わりに1月13日の中継は落語家の林家いっ平が、2月15日は三笑亭夢之助が司会を務める。ちなみに毒蝮の復帰が決まった2月中旬頃にヨークマート鎌ヶ谷店からの中継の際、司会の三遊亭小遊三が遅刻をし放送時間の大半が終了した10時40分過ぎに到着するというアクシデントがあった。練馬の自宅からのアクセスが良くなく申し訳ないと謝罪した。小遊三到着前までは、はぶ三太郎が場を盛り上げていた)
- 「ウルトラマンマックス」には、かつてのウルトラマンのレギュラーの存命者で唯一出演していなかったが、病気を押し端役として特別出演した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式ホームページまむちゃんの部屋
- TBSラジオ 大沢悠里のゆうゆうワイド大沢悠里のゆうゆうワイド
カテゴリ: ラジオ番組のパーソナリティ・DJ | 笑点 | 1936年生