沙伴王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沙伴王 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 사반왕, 사비왕, 사이왕 |
漢字: | 沙伴王, 沙沸王, 沙伊王 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
さはんおう、さふつおう、 さいおう |
片仮名: (現地語読み仮名): |
サバンワン、サビワン、 サイワン |
ラテン文字転写: | Saban-wang, Sabi-wang, Sai-wang |
{{{alphabet-type}}}: | {{{alphabet}}} |
沙伴王(さはんおう、生没年不詳)は百済第7代の王(在位234年)。先代の仇首王の長子であり、仇首王が234年に薨去した際に王位につけられたが、幼少であったため直ちに古尓王(こにおう、コイワン。第5代肖古王の同母弟)が王位についたという。
『三国史記』には沙伴王としての本紀記事はなく、次の古尓王の即位前記に、沙伴王の即位と幼少により古尓王が王位についたことを記すのみである。『新撰姓氏録』などの日本の史書にその名が見えるという。
[編集] 参考文献
- 『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X