清原元輔
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清原 元輔(きよはらの もとすけ、延喜八年(908年)- 永祚二年(990年)六月没)は平安時代の歌人、学者。父は下野守・春光(父の名を「顕忠」とする説は、藤原元輔の父と混同した誤りと考えられている)、祖父は内蔵允・深養父(元輔の父を深養父とする説もある)。清少納言の父。深養父・元輔・清少納言はともに小倉百人一首に歌を採られている。
河内・肥後の国守を歴任し、980年(天元3年)3月、従五位上に至る。951年(天暦5年)10月より、梨壺の五人のひとりとして『後撰和歌集』の編纂に当たった。家集『元輔集』があり、『拾遺和歌集』以下の勅撰集に入集。三十六歌仙にも数えられた。元輔が歌人として高名だったことは、『枕草子』にみえる、女房勤めした折に清少納言が「父の名を辱めたくないので歌は詠まない」といって許されたという挿話からも伺える。
禿頭であったことが伝えられている。