白河義実
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白河 義実(しらかわ よしざね、元和5年(1619年) - 承応2年(1653年))は江戸時代初期の武将。仙台藩主伊達氏の家臣。白河義綱の嫡男で、白河宗広の父。志摩守。壱岐守。右京。義實。
室は蘆名氏の支族である針生重信の娘。義実の娘は新田義影、伊達宗実に嫁ぐ。新田義影の子成義は後に伊達綱宗の次女を迎えた。伊達宗実室は義実ではなく父・義綱の娘とも言われている。
仙台白河氏の3代目にあたる。仙台白河氏は義実の代に550石を給され一族に列し、子の宗広の代に一門に列した。さらに子の村親の代には真坂に居住し1073石余の禄高となった。
義実の室は歌舞伎「伽羅先代萩」の登場人物で、伊達騒動の際に幼君鶴喜代(亀千代、後の伊達綱村)を守り育て上げた乳母、政岡のモデルとされている。
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