皇牙都嵯
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皇牙 都嵯(おうが とさ、1977年10月22日 - )は、福岡県直方市出身で高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は森安篤(もりやす あつし)。身長180cm、体重120kg。得意手は右四つ、食い下がり。趣味はパチンコ、映画鑑賞。最高位は東十両7枚目(2006年7月場所)。
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[編集] 来歴
皇牙という四股名は、同じ直方第二中学校出身の魁皇と、長年付き人を務めていた闘牙の両関取から一字ずつ取って闘牙が名付けた。
朝青龍の横綱昇進後、2004年1月場所から弓取式を務めている。
2006年3月場所では、自己最高位となった東幕下4枚目で5勝2敗という成績を上げ、同年3月29日の番付編成会議において翌場所の十両昇進が決定した。5勝目を挙げた際に「十両に上がっても弓取りをしたい」とのコメントを残した。「弓取りを行う力士は出世しない」との言い伝えもあったが、本人は「目の前で結びの一番を見られることはこの上ない勉強になる」と意に介していなかった。また、初土俵から所要79場所(13年)での新十両は当時史上9位タイのスロー出世である。
2006年5月場所において希望は実現し、1975年3月場所の板倉(後の前頭・大豪)以来実に31年ぶりとなる本場所の弓取式を務める関取となった。化粧回しは漫画家のやくみつるのデザインによる自身の弓取りの姿を描いたものが贈られた。関取弓取りの初日となった5月場所初日には、「弓取りの控え席に座布団が置いてあったことに驚いた」(関取に昇進したため、土俵下の控え席には座布団が置かれる)というコメントを残している。その後白星を重ねて10勝5敗と大きく勝ち越し、豊桜、寶智山と優勝決定巴戦を行った。優勝はならなかったが、しぶとい相撲で館内を沸かせた。
7月場所は自己最高位の十両7枚目まで番付を上げ、初日から6連勝したもののその後まさかの9連敗をしてしまい、負け越した。
[編集] 略歴
- 1993年3月場所 - 初土俵、四股名は本名の森安 篤(もりやす あつし)。
- 1993年9月場所 - 序二段昇進。
- 1995年11月場所 - 三段目昇進。
- 1999年5月場所 - 幕下昇進。
- 2001年5月場所 - 四股名を皇牙 暁寿(おうが あきとし)に改名する。
- 2005年3月場所 - 幕下51枚目で6勝1敗、7人の力士による優勝決定戦に進むも敗れる。
- 2006年3月場所 - 幕下4枚目で5勝2敗の好成績。
- 2006年5月場所 - 新十両 初土俵から79場所での新十両は史上9位のスロー記録 皇牙の四股名の下の名を都嵯(とさ)に改める。優勝同点(10勝5敗)。
[編集] 主な成績
2006年9月場所終了現在
- 通算成績:312勝279敗(82場所)
- 十両成績:25勝20敗(3場所)
[編集] 改名歴
- 森安 篤(もりやす あつし)1993年3月場所-2001年3月場所
- 皇牙 暁寿(おうが -)2001年5月場所-2006年1月場所
- 皇牙 都嵯(- とさ)2006年3月場所-
- 都嵯の名は、土佐犬の如く食い付くようにと知人が字画を考えて付けた。