石原伸晃
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石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年4月19日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。行政改革・規制改革担当大臣・国土交通大臣・観光立国担当大臣を務めた。 日本OPヨット協会会長。
生年月日 | 1957年4月19日 |
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出生地 | 神奈川県逗子市 |
出身校 | 慶應義塾大学文学部 |
学位・資格 | 文学士(慶應義塾大学) |
前職・院外役職(現在) | 日本テレビ政治部記者 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆議院懲罰委員会理事 |
世襲の有無 | 二世 父・石原慎太郎 (地盤の継承なし) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
東京8区 |
当選回数 | 6回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(無派閥) |
党役職(現在) | 幹事長代理 東京都支部連合会会長 道路調査会会長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館743号室 |
ウェブサイト | [1] |
父は石原慎太郎。石原裕次郎は叔父。俳優・タレント・気象予報士の石原良純・衆議院議員の石原宏高・画家の石原延啓は弟。妻・里紗(元タレント・田中理佐)との間に一男一女あり。学歴は慶應義塾大学文学部卒業。学位は文学士(慶應義塾大学)。
目次 |
[編集] 経歴
- 1957年4月19日 - 作家 石原慎太郎・典子の長男として生まれる。
- 1973年 - 慶應義塾普通部卒業。
- 1976年 - 慶應義塾高等学校卒業。
- 1981年 - 慶應義塾大学文学部(都市社会学を専攻)卒業後日本テレビに入社し、大蔵省・外務省・首相官邸などを担当する政治部記者を務める。
- 1989年 - 日本テレビを退職。
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙で旧・東京4区(杉並区・中野区・渋谷区)より出馬し、初当選。この時の第一秘書は、後に民主党衆議院議員となった長島昭久。
この時の選挙の対戦相手が、現杉並区長の山田宏
- 1996年 - 通商産業政務次官に就任。
- 2001年 - 行政改革担当、規制改革担当大臣に就任。
- 2003年 - 国土交通大臣に就任( - 2004年9月)。
- 2004年 - 自民党総務、同党金融調査会長に就任。
- 2005年 - 自民党道路調査会長に就任。
- 2005年11月--法務委員長に就任。
- 2006年9月 - 自民党幹事長代理に就任。
党選挙対策本部副本部長、党改革実行本部長を兼務する。
[編集] 受賞歴
[編集] 人物
- いわゆる「政策新人類」の代表格で、金融をはじめとした経済問題に精通している。1998年の「金融国会」では金融再生関連法案の成立に尽力した。森内閣においては政権批判の急先鋒で、「加藤の乱」に連座するなどして傷を負ったが、続く小泉内閣では行革担当大臣、国土交通大臣と重用され、道路公団問題などに取り組んだ。続く安倍内閣の党人事でも幹事長代理に就任。次世代の有力な政治家と目されている。
- NHK総合テレビが深夜に不定期で放送している、「MUSIC BOX」(1970 - 1990年代のヒット曲と共に、当時の世相や流行を記録した映像を放送する深夜番組)では、日本テレビ報道局に在籍していた石原が、青函トンネル開通を記念して報道陣を乗せた特別列車の中で、取材メモを取っている姿が流れる。(取材中にNHKのニュース映像に偶然映ってしまった模様。)
- 大臣時代に「北海道の道路は車が走っている数よりヒグマが走っている数のほうが多い」と発言し、その発言に激怒した鈴木宗男議員が石原に猛抗議を行った。
- 国土交通大臣時代、藤井治芳日本道路公団総裁を解任した。藤井は解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴。2006年9月6日に解任処分は相当であると、石原勝訴の判決が下された。