神尾米
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神尾 米(かみお よね, 1971年11月22日 - )は、神奈川県横浜市出身の元女子プロテニス選手。東海大相模高校卒業。伊達公子の刺激で日本女子テニス界が最盛期にあった頃に活躍した選手のひとりである。シングルス自己最高ランキングは24位(1995年10月16日付)。これは当時の日本女子では3位にあたり、1番手は伊達、2番手は沢松奈生子に続く好位置につけていた。現役時代はブリヂストンスポーツに所属した。
母親の影響で10歳からテニスを始め、高校卒業後の1990年にプロ転向。主な成績は、全日本テニス選手権で1994年のシングルス優勝、1996年のダブルス優勝がある。4大大会でも、1995年に全豪オープン、ウィンブルドンと全米オープンの3大会で3回戦進出を果たし、とくに全米オープンでは刺傷事件からの復帰を果たした第2シードのモニカ・セレシュに挑戦している。ただし全仏オープンでは1度も初戦を突破できなかった(1994年~1996年の3度出場)。しかしテニス経歴がピークにあった頃、慢性的な肩の故障を抱え、再起不能の宣告を受ける。1997年2月の「全日本室内テニス選手権」優勝を最後に、25歳の若さで現役を引退した。第一人者の伊達公子が1996年11月に世界ランキング8位で突然の引退をした直後、すぐに3番手の神尾も日本女子テニス界を去ることになった。
引退後はテニスで後進の指導に携わる傍ら、テレビ番組を通してトライアスロンなどのスポーツにも挑戦している。1999年には日本テレビ系列の番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の企画「ドーバー海峡横断部」にて、部長の内村光良などとともにドーバー海峡横断をやってのけた。