竹島紀元
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竹島 紀元(たけしま としもと、1926年 - )は日本の編集者、映画監督。雑誌「鉄道ジャーナル」、「旅と鉄道」の編集長および両雑誌を発行する鉄道ジャーナル社代表取締役社長である。
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[編集] 経歴
農林技官だった父親の赴任先で、当時日本に併合されていた朝鮮の通川(トンチョン)で生まれ、1945年の敗戦まで朝鮮半島で育った。 九州大学工学部を中退後、映像制作などに従事したほか、鉄道雑誌などの編集にも関わった。
1965年、鉄道記録映画社を設立し、鉄道に関係する記録映画の制作を始め、のちには国鉄のPR映像も制作する。
1967年5月、知人の経営する広告代理店、東亜企画を通じて「鉄道ジャーナル」を季刊誌として創刊、自ら編集長となる。しかし、東亜企画の経営難から、第3号の発行が困難になり、鉄道記録映画社が業務を引き継いで、以降は同社が発行することになり、また同時に月刊化した。1970年には、業務の比重が映像よりも出版に移行したため、鉄道記録映画社を現在の鉄道ジャーナル社に社名変更している。
1971年、季刊で「旅と鉄道」を創刊、必ずしも鉄道にこだわらない旅行雑誌として現在まで発売を続けている。
現在も、現役の雑誌編集者であり、映像制作者である。鉄道ジャーナル誌では、以前は自ら写真も含め取材した記事が多かったが、近年はアジア・ロシアの鉄道に関係する紀行記事を掲載する程度となっている。しかし、同誌の巻末では毎号コラムを掲載し、鉄道に限らず社会や出版に関係する辛口のコメントが掲載されている(ただし、過去の号の再録も多い)。また、映像に関しては、その作品の全てを構成・演出し、他社ビデオ作品の追随を許さない本格的作品に仕上がっていると自負している。
一方で、2001年8月号(通巻418号)に掲載された朝鮮半島の鉄道に関する自ら執筆した記事内で、日本軍による従軍慰安婦の強制連行についてその事実はないとしたところ、2002年1月号(通巻423号)まで読者を巻き込む論争となり、記事内容の補足説明などに追われた。その中で、新しい歴史教科書に対する韓中両国の修正要求に対して、「内政干渉」であるとする見解を持っていることも示された。なお、同号では、産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘も寄稿している。
[編集] 出版物
[編集] 鉄道ジャーナル社の出版物
[編集] 鉄道ジャーナル社以外の出版物
- もっともくわしい機関車鉄道図鑑(朝日ソノラマ)
- もっともくわしいブルートレイン図鑑(朝日ソノラマ)
- もっともくわしい特急列車図鑑(朝日ソノラマ)
- もっともくわしい電車機関車図鑑(朝日ソノラマ)
- 日本の名列車(詳伝社新書)
[編集] 映像作品
- くろがねの馬 蒸気機関車
- 雪の行路
- 望郷の鉄輪 C62ニセコ けむりの旅路
- 長声一発! 青函連絡船の旅路
- 阿蘇のけむり SLあそBOY
- 汽車 日本の動態保存SL
- 映像詩幻走
- 思い出の木曾森林鉄道
- 北海道の鉄道シリーズ 全5巻
- 思い出の国鉄シリーズ 全18巻