蓋婁王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蓋婁王 | |
---|---|
{{{picture-type}}} | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
ハングル: | 개루왕 |
漢字: | 蓋婁王 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
がいるおう |
片仮名: (現地語読み仮名): |
ケルワン |
ラテン文字転写: | Gaeru-wang |
{{{alphabet-type}}}: | {{{alphabet}}} |
蓋婁王(がいるおう、生年未詳 - 166年)は百済の第4代の王(在位:128年 - 166年)であり、先代の己婁王の嫡男。128年11月に先王の薨去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。
[編集] 治世
先王のときに築かれた新羅との友好関係は、165年10月に崩れている。その契機は、新羅の阿サン(新羅の官位のひとつ。サンはさんずいへんに食)の吉宣(きちせん、ギルソン)が反乱を企てて失敗し、百済に亡命してきたことにある。新羅王(阿達羅尼師今)は吉宣の送還を求めたが蓋婁王はこれをかくまったため、新羅軍の派兵を招いた。このとき百済の諸城は籠城戦を採ったため、新羅軍は撤退した。翌年、蓋婁王は薨去するが、この時より百済と新羅とは敵対関係に入った。
[編集] 薨去
166年、在位39年にして薨去した。
[編集] 参考文献
- 『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X