衝角
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衝角(しょうかく、ram)は、軍艦の水線下艦首部に取り付けられる固定武装の一種。
前方に大きく突き出た角の形状をしており、軍艦同士の接近戦において敵艦側面に突撃して推進力を生み出す櫂の列を破壊して機動性を奪ったり、その船腹を突き破り撃沈せしめることを目的としている。こうした用法のため、他の船体とは別に衝角だけ強力な金属で製作している場合もある。
[編集] 歴史
歴史的には、古代ギリシャの軍船においてすでに衝角が搭載されていた。当時はまだ火器がなく、海戦といえば軍船同士が接近して敵船に乗り移り白兵戦を行うか、衝角で敵船の運動能力を奪ったり撃沈するものであった。
近代になって大砲が軍艦に搭載されると、衝角戦は主流ではなくなった。例えばアルマダの海戦(1588年)では、衝角戦を仕掛けようとするスペイン艦隊に対してイギリス艦隊は逃げ回り、結果的に勝利をものにしている。とはいえ、艦載砲の射程はまだ短く、また炸裂弾ではなかったために船体そのものの破壊には効果が十分でなかったこともあり、その後も接近戦は船体そのものへの破壊戦術としての効果を期待して行われたため、衝角も搭載され続けた。
19世紀半ばに軍艦に鋼鉄の装甲が施された頃、艦載砲の貫通力や命中精度がこれを撃ち抜くのに不足で、衝角戦が再び脚光を浴びた時期があった。リッサ海戦(1866年)や、南米の太平洋戦争で戦われたイキケの海戦(1879年)がこの例である。日露戦争時の日本海軍旗艦「三笠」にも衝角が搭載されていた。だが、日清戦争の黄海海戦時においては、清国北洋水師の定遠などが衝角を備え、日本海軍と戦闘を行ったが、軽快艦艇で構成された日本艦隊は衝角攻撃をかわし、北洋水師艦艇に対し砲撃のみにより損害を与えている。
その後、造船技術の進歩や艦載砲の威力の向上によって、個艦同士の接近戦は再び行われなくなり、また操艦を誤った場合大惨事となってしまうため(実際に日露戦争中に日本海軍の艦が失われている)、20世紀初頭に衝角は姿を消していった。