貞慶
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貞慶 | |
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1155年6月22日 - 1213年2月24日 | |
尊称 | 解脱上人 |
宗派 | 法相宗 |
寺院 | 笠置寺 海住山寺 |
師 | 覚憲 |
著作 | 『愚迷発心集』 |
貞慶(じょうけい、久寿2年5月21日(1155年6月22日) - 建暦3年2月3日(1213年2月24日))は、鎌倉時代前期の法相宗の僧。京都の生まれ。祖父は藤原通憲(信西)、父は藤原貞憲。号は解脱房。勅謚号は解脱上人。笠置寺上人とよばれた。
興福寺に入り叔父覚憲に師事して法相・律を学んだ。1182年(寿永元年)維摩会竪義(ゆいまえりゅうぎ)を遂行し、御斎会・季御読経などの大法会に奉仕し、学僧として将来を嘱望されたが、僧の堕落を嫌って1193年(建久4年)かねてからの弥勒信仰を媒介として信仰を寄せていた笠置寺に隠遁した。それ以後般若台や十三重塔を建立して笠置寺の寺観を整備する一方、龍香会を創始し弥勒講式を作るなど弥勒信仰をいっそう深めていった。なお、1205年(元久2年)には興福寺奏状を起草し、法然の専修念仏を批判した。1208年(承元2年)海住山寺の移り観音信仰にも関心を寄せた。
著書「愚迷発心集」のほかに法相・律・弥勒信仰に関する著作が数多く残されている。