赤塚源六
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赤塚 源六(あかつか げんろく、天保5年(1834年) - 明治6年(1873年))は、幕末の薩摩藩士。精忠組隊士。軍艦春日丸艦長。日本海軍軍人。幼名は君太郎。諱は真成。
安政6年(1859年)、精忠組結成に参加。過激な尊皇思想のもと活動を続け、慶応3年(1867年)の王政復古を前にして長崎に赴き軍艦春日丸を購入。前艦長松方正義の後任となって艦長に就任した。
明けて慶応4年(1868年)1月、赤塚は春日丸を運送船護衛の軍艦として兵庫沖に待機させておき、鳥羽・伏見の戦いが始まるとそれに乗船して運送船と共に鹿児島を目指した。しかし、1月4日に春日丸を発見した旧幕府軍艦開陽丸が砲撃を開始し、春日丸は応戦。双方にそれほどの被害は及ばなかったものの、赤塚は撤退を選んで鹿児島へ逃げ延びる。運送船一艘は逃げ切れずに自焼してしまった。(阿波沖海戦)
明治2年(1869年)に箱館戦争が勃発すると海戦にほぼ参戦し、特殊任務として弁天台場・七重浜にかけて仕掛けてあった旧幕府軍の水雷を除去した。
維新後は海軍大佐までに昇進する。自著『北地日記』。
明治9年、他界。享年40。