蹴鞠
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蹴鞠(けまり)とは、平安時代に大流行した競技のひとつ。鹿皮製の鞠を一定の高さで蹴り続け、その回数の多寡を競う競技である。
なお、日本語でサッカーのことを「蹴球(しゅうきゅう)」と呼ぶのは、明治時代にヨーロッパから来た外国人が居留地でその競技に興ずる姿を見て「異人さんの蹴鞠」と呼んだことからきているといわれる。またその関連から日本サッカー協会のシンボルマークは「八咫烏」をモチーフとしている。
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[編集] 歴史
蹴鞠は600年代、仏教などと共に中国より渡来した。中大兄皇子と藤原鎌足が、蹴鞠をきっかけに親しくなり、これがきっかけで645年に大化の改新が興ったことは広く知られている。
蹴鞠競技はその後、中国本土では次第に廃れていったが日本で独自の発達を遂げ、数多の蹴鞠の達人を輩出した(下記蹴鞠の達人の章にて紹介)。平安時代には蹴鞠は宮廷競技として貴族の間で広く親しまれるようになり、貴族達は自身の屋敷に鞠場と呼ばれる専用の練習場を設け、日々練習に明け暮れたという。辛口の評論で知られる清少納言でさえ、著書「枕草子」のなかで「蹴鞠は面白い」と謳っているほどであった。
蹴鞠は貴族だけに止まらず、天皇、公家、将軍、武士、神官はては一般民衆に至るまで老若男女の差別無く親しまれた。蹴鞠に関する種々の制度が完成したのは鎌倉時代で、以降近代に至るまでその流行は衰えることは無かった。
蹴鞠がこれほど普及したのは、階級制度の厳しい時代における民衆のストレスのはけ口として政策として利用され、大いに奨励された事が発展・普及の裏にあったのではないかと思われる。
しかし室町時代の末期に織田信長が相撲を奨励したことで、蹴鞠の人気は次第に収束していったといわれる。
[編集] ルール
蹴鞠は懸と呼ばれる四方を元木(鞠を蹴り上げる高さの基準となる木)で囲まれた三間程の広場の中で実施される。1チーム8人で構成され、その中で何度鞠を蹴り続けられるかを競った団体戦と、鞠を落とした人が負けという個人戦があった。
- 懸:蹴鞠を行う競技場の事
- 元木:懸の四方に植えられた柳、桜、松、楓などの植木。高さは一丈五尺以下で、鞠を蹴り上げる為の基準となった。
- 鞠足:蹴鞠を行うプレイヤーの事。名プレイヤーを名足、下手な人を非足と呼んだ。
- 野伏:外に出た鞠を中へ蹴り返す補助役。
- 見証:審判。
- 上鞠:キックオフのこと。基本的に上鞠を行うことは非常に名誉なことであった。
- 請鞠:日暮や天候変化などにより、やむなく試合を中断すること。
[編集] 蹴鞠の達人
各時代において多数の名足を生み出したが、平安後期の藤原成通は特に希代の名人と言われている。
彼の夢に3匹の猿が現れ、その名前(夏安林(アリ)、春陽花(ヤウ)、桃園(オウ))が鞠を蹴る際の掛声になったと言われている。この3匹の猿は蹴鞠の守護神として現在、大津の平野神社と京都の白峯神宮内に祭られている。
[編集] 蹴鞠を得意とする人々(順不同)
[編集] 関連項目
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