龍田 (軽巡洋艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
龍田(たつた)は日本海軍天龍型軽巡洋艦の2番艦。
佐世保工廠で建造された。1917年7月24日起工。1918年5月29日進水。1919年3月31日竣工。
1920年、シベリア出兵に参加、船団護衛に従事した。1924年3月19日には佐世保港外で演習中に「第43潜水艦」と衝突事故を起こした。この事故で「第43潜水艦」は沈没、乗員45名全員が死亡した。
1937年7月8日から1938年12月15日まで日中戦争で中国沿岸で行動した。
1941年9月1日、トラックに進出。12月8日太平洋戦争開始により、ウェーク島攻略のため援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃した。12月11日に行われたウェーク島攻略戦では日本軍は2隻の駆逐艦を失い作戦は失敗に終わった。12月21日、2度目のウェーク島攻略作戦のため「龍田」を含む攻略部隊はクェゼリン環礁を出撃した。22日から23日にかけて行われた戦いで日本軍はウェーク島を占領した。
1942年1月、日本軍はビスマルク諸島、ラバウル、カビエンの攻略を開始した。「龍田」はカビエン攻略部隊として軽巡洋艦「天龍」等と共に1月20日にトラックを出港した。カビエン攻略は22日に行われ無血占領された。
その後「龍田」は3月8日に行われたニューギニア島ラエ、サラモア攻略作戦などを支援した。
6月にはポートモレスビー攻略作戦のため出撃したが珊瑚海海戦の結果作戦は中止された。
その後はガダルカナル島やポナペ島への輸送任務に従事した。1944年3月12日、サイパンへの輸送作戦で横須賀を出港、翌13日八丈島沖で米潜水艦「サンドランス」の雷撃を受け沈没した。
5月10日、除籍。
[編集] 関連項目
- 島居威美
この「龍田 (軽巡洋艦)」は、軍艦に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。 |