ETL Mark III
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ETL Mark IIIは、通産省工業技術院電気試験所(現在の産業技術総合研究所)が開発した日本初のトランジスタ式コンピュータである(1956年動作)。
[編集] 歴史
1954年、電気試験所に米国留学から帰国した和田弘を部長とする電子部が創設された。1948年に発明されたトランジスタを研究する部門であったが、その中の回路技術研究室の高橋茂、西野博二らは1955年からトランジスタによるコンピュータの開発に着手した。当時入手可能なトランジスタは信頼性に問題があったためトランジスタ数の多くなるフリップフロップを採用せず、SEACというアメリカの真空管コンピュータに倣ってトランジスタを単なる増幅器として使用し、ダイオードでスイッチングを行う方式を採用している。また、研究試作ということで16ビットワードとし、除算回路も浮動小数点演算回路も持たない構成でトランジスタ数を減らした。記憶装置としては、水銀遅延線の扱いにくさを回避するため、光学ガラスを媒質とした遅延線メモリを使用している(128ワード)。1956年7月には動作するようになり、日本での電子計算機としてはFUJICに次いで二番目、トランジスタ計算機としては日本初であった。
Mark III は点接触型トランジスタを使用していて、動作は高速(加算時間は0.56ms)だったが故障が多かった。速度を犠牲にしても信頼性を高めようとして、接触型トランジスタを使用した ETL Mark IVの開発が始められた。Mark IVは商用化を考慮し、事務用途で使われることを想定してBCDを基本方式としている。なんとメモリアドレスまでBCD三桁で表現していた。また、メモリには磁気ドラムメモリを使用し、容量を1000ワード(1ワードはBCD6桁、つまり24ビット)に拡大した。1957年11月に完成し、これをもとに電機メーカー各社が製品化している(後述)。また、Mark IV を利用した機械翻訳機「やまと」が開発された。その過程で文字認識装置も開発されている。
電気試験所内の計算機需要が高まって、浮動小数点演算回路を持つETL Mark Vが設計された。製造は日立製作所が担当し1960年5月に完成している。
また、Mark IV はさらに改良が続けられた。後に第五世代コンピュータ計画の中心となった淵一博が加わり、ワード長をBCD6桁から8桁に拡大しインデックスレジスタを追加した。さらに、記憶装置を磁気コアメモリにしたETL Mark 4Aが開発され、性能が十倍になった(1959年)。また各種入出力装置を接続するための専用計算機としてETL Mark 4Bが開発され(1961年)、Mark 4A と接続してマルチプロセッサシステムを構成している。
また、超大型コンピュータの研究のため ETL Mark VI の研究が1959年ごろから開始された。この過程で様々な新方式を生み出し、後の日本のコンピュータ産業の礎となった。Mark VIは1965年に完成し、電気試験所でのコンピュータ開発は役目を終えたのである。
[編集] 派生
ETL Mark IVベースで製品化されたものは以下の通りである。
ETL Mark Vベースで製品化されたものは以下の通りである。
[編集] 参考文献
- 『国産コンピュータはこうして作られた』相磯秀夫(他編)、共立出版(1985年)、ISBN 4-320-02278-5