くノ一
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くノ一(くのいち)は忍者の隠語で女性のことを指し、仕事のしかけに女性を使うことをくのいちの術と呼んだ。しかし小説や漫画などで女忍すなわち女性の忍者を意味する言葉として用いられることが多く、これが普及している。
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[編集] 一般的なイメージ
女忍は、主に力一辺倒では太刀打ちできない相手に対して下女などと偽って送り込まれ、機密情報の収集や暗殺などを請け負った。そのため、全身黒ずくめの忍者装束を着て男忍と同じような任務に就くことは、実際にはほとんどなかったらしい。
しかしながら、籠絡する相手に真剣に惚れ込んだり、裏切ったりするなどの危険が付きまとっていたため、それを防ぐために連絡役兼監視役の忍者が常に行動を監視し、裏切りの気配を見せたときには容赦無く殺害していたとも言われる。その例として、安土桃山時代の武将、徳川家康が政敵の石田三成に送り込んだ初芽局がいる。
[編集] 語源
現在一般に「くノ一」と表記され、女という字を分解すると「く」と「ノ」と「一」に分けられる事が語源とされている。
[編集] 語源の異説
「くのいち」は女性のことで、正しくは「九ノ一」と書く。人体には目、鼻、口、耳、へそ、肛門の九つの穴がある。女性は女性器があり、もう一つ多いことから、九ノ一と呼ばれたという。女の字を分解した「くノ一」は、現在では女忍者の俗称として使われるようになった、とする説があるものの、穴の数え方が資料によってまちまちのため(例えば、へそではなく尿口を数えるなど)、信憑性は今ひとつ。 また、「くノ一」という言葉自体が、忍者小説の大家である山田風太郎の手による造語である、という説もある。
[編集] 歴史上のくノ一
史実に登場するくノ一で有名なのは、やはり武田信玄に仕えた歩き巫女の集団だろう。歩き巫女とは各地を回って芸や舞を見せ、時には男性に身を任せることもあった、云わば流浪の遊女である。戦国時代には孤児や捨て子、迷子が大量に発生した。その中から心身ともに優れた美少女のみを集めて歩き巫女に仕立て、隠密として各地に放ったのがくノ一である。信玄がくノ一の養成を命じたのは信州北佐久郡望月城主の若き未亡人・望月千代女であった。実は千代女は甲賀流忍術の流れを汲む名家、望月家の血族であり、信玄の甥が入り婿になっていた。信玄は彼女を「甲斐信濃二国巫女頭領」に任じ、信州小県郡祢津村の古御館に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開き、200~300人を超える少女達に呪術、祈祷から忍術、護身術、更に相手が男性だった時の為に性技まで教え込んだ。歩き巫女に国境は無く、全国何処でも自由に行けたため、関東から畿内を回って口寄せや舞を披露し、時には売春もしながら情報を収集し、ツナギ(連絡役)の者を通じて信玄に逐一報告した。反面、信玄は家臣の謀反を恐れて、彼らの自宅に僧、巫女を泊めるのを禁じた。