アイザック・スターン
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アイザック・スターン(Isaac Stern, 1920年7月21日 - 2001年9月22日)は20世紀で最高のヴァイオリニストの1人。ユダヤ系。晩年まで演奏活動・録音活動にも精力的であった。
ウクライナのクレメネツに生まれるが、1才のとき家族に連れられサンフランシスコに移住する。母親から音楽の早期教育を受け、早くも1928年でサンフランシスコ音楽院に入学、ヴァイオリンをナフム・ブリンダーに学ぶ。1936年2月18日にサン=サーンスの≪ヴァイオリン協奏曲 第3番≫を、モントゥ指揮のサンフランシスコ交響楽団と共演して、デビューを果たす。
1979年に中国政府に招かれ、演奏旅行のかたわら、中国各地でヴァイオリンの指導を行う。その模様はフィルムに収録され、「毛沢東からモーツァルトへ(From Mao to Mozart)」と題されたドキュメンタリーは、翌年のアカデミー賞ベスト・ドキュメンタリー部門でオスカーに輝いた。新進演奏家の擁護者でもあり、なかでもイツァーク・パールマン、ピンカス・ズーカーマン、ヨーヨー・マはスターンの秘蔵っ子たちで、しばしば共演を重ねてきた。1960年には、カーネギー・ホールが解体の危機に見舞われた際、救済活動に立ち上がった。そのため現在、カーネギー・ホールのメイン・オーディトリアムはスターンの名がつけられている。
スターンは、古典的な数々の協奏曲(バッハ、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス)の名演・名録音で有名である。それに加えて、アルバン・ベルクやバルトーク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、サミュエル・バーバー、レナード・バーンスタイン、アンリ・デュティユーなどの20世紀の協奏曲も演奏・録音した。映画「屋根の上のバイオリン弾き」で、役者の代わりに実際にフィドルを弾いているのは、スターンである。
室内楽でも、ユージン・イストミン、レナード・ローズと組んでピアノ・トリオの演奏や録音を行った。さらに、1992年には、エマニュエル・アックス、ハイメ・ラレード、マと共演したブラームスの室内楽のCDが、同年のグラミー賞に輝いている。
1996年より始まる宮崎国際音楽祭では、初代音楽監督に就任しており、2002年には宮崎県より県民栄誉賞を遺贈された。また同年、音楽祭での功労を称えて、宮崎県立芸術劇場コンサートホールは、宮崎県立芸術劇場アイザックスターンホールと改称された。2000年には80歳で来日し、日本で来日記念アルバムも発売された。
2001年9月22日、その11日前に発生したアメリカ同時多発テロ事件で全米が騒然とする中、その渦中にあったニューヨークで亡くなった。
息子マイケルは指揮者としてヨーロッパで活動中。
[編集] 関連項目
- ミラ・ゲオルギエヴァ(アイザック・スターンが真の才能と絶賛)
カテゴリ: アメリカのヴァイオリニスト | 1920年生 | 2001年没 | クラシック音楽関連のスタブ