アソールト
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1943年3月26日 |
死没 | 1971年9月1日 |
父 | ボールドベンチャー |
母 | イグアル |
生産 | キング・ランチ |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | キング・ランチ |
調教師 | マックス・ハーシュ |
競走成績 | 42戦18勝 |
獲得賞金 | 675,470ドル |
アソールト(Assault)は、アメリカ合衆国の競走馬である。1946年の米三冠を達成する等活躍した。名前は「襲撃」の意。
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[編集] 生涯
当歳時に杭を踏み抜くという事故に遭い、安楽死は何とか免れたものの右足が変形しいつも足を引きずっていた。その姿からびっこ、足曲がりと呼ばれていた。だが、足が不自由にもかかわらず活躍し、1946年アメリカ三冠を達成、人々は賞讃の意を込め「Club-footed Comet」(足曲がりの彗星)と呼んだ。
種牡馬としてはほとんど産駒を残せず事実上の不妊。その後、1971年9月1日に生まれ故郷キング・ランチで死亡、28歳であった。1971年米競馬の名誉の殿堂入り。ブラッドホース誌による20世紀アメリカサラブレッドベスト100では33位に選出。
[編集] 戦績
2歳時にベルモント競馬場でデビューしたアソールトは初戦を12着と惨敗し。4戦目で勝ち上がるもののこの年は9戦2勝で終えた。2勝目のフラッシュステークスは11番人気の大穴だった。翌年はフリーハンデキャップでいきなり勝ち上がると、続くウッドメモリアルステークスも快勝した。ケンタッキーダービーでは、前走ダービートライアルステークスで4着に負けていたことから4番人気に過ぎなかった。だが、先行策から直線抜け出すと、前走負けたスパイソングを着差レコードとなる8馬身差を付け圧勝。さらにプリークネスステークスも快勝すると、ベルモントステークスではスタート直後に躓くというアクシデントがありながら3馬身差でアメリカ競馬史上7頭目の三冠を達成した。その後はなかなか勝てないレースが続くも、年末のピムリコスペシャルステークスではスタイミーを破り、さらにウェストチェスターハンデキャップにも優勝するとこの年の米年度代表馬に選ばれた。
翌年はいきなり5連勝するもアームドとのマッチレースで故障してしまい、以後は出走回数を減らしていく。そして、全盛期の力を取り戻すことなく、7歳時のハリウッドゴールドカップ7着を最後に引退している。
[編集] 年度別競走成績
1945年(9戦2勝)
1946年(15戦8勝、米年度代表馬、最優秀3歳牡馬)
- ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス、ピムリコスペシャルステークス
1947年(7戦5勝)
- サバーバンハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ
1948年(2戦1勝)
1949年(5戦1勝)
- ブルックリンハンデキャップ
1950年(3戦1勝)
[編集] 血統表
アソールトの血統 (スウィンフォード系/Commando4×5=9.4%) | |||
父
Bold Venture 1933 栗毛 |
St.Germans 1921 鹿毛 |
Swynford | John o'Gaunt |
Canterbury Pilgrim | |||
Hamoaze | Torpoint | ||
Maid of the Mint | |||
Possible 1920 栗毛 |
Ultimus | Commando | |
Running Stream | |||
Lida Flush | Royal Flush | ||
Lida H. | |||
母
Igual 1937 栗毛 |
Equipoise 1928 栗毛 |
Pennant | Peter Pan |
Royal Rose | |||
Swinging | Broomstick | ||
Balancoire | |||
Incandescens 1931 栗毛 |
Chicle | Spearmint | |
Lady Hamburg | |||
Masda | Fair Play | ||
Mahubah F-No.4-c |
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