アドリアン・ムトゥ
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アドリアン・ムトゥ(Adrian Mutu、1979年1月8日 - )は、ルーマニア・ピテシュティ出身の同国代表、セリエA・フィオレンティーナのサッカー選手(FW・MF)。
1996年、地元のクラブチームであるアルゲス・ピテシュティでキャリアをスタート。1998年にルーマニアの強豪クラブディナモ・ブカレストへ移籍し、才能の高さを証明。翌年にはセリエA・インテルへ移籍。さらに2000年3月29日のギリシャ戦で代表デビューを果たし、ゲオルゲ・ハジ引退後のルーマニアサッカー界の牽引者として注目を集める。
2002-2003シーズンはパルマでプレーし、攻撃の要として活躍。当時はアドリアーノとコンビを組み、最強の破壊力を持つツートップとして恐れられた。翌シーズンにはチェルシーへ加入し、2003年のルーマニア最優秀選手に選出されるなど順風満帆かに思われたが、2004年10月にドーピング検査で陽性反応を示し、長期の試合出場停止を余儀なくされ、チェルシーを解雇。しかしその潜在能力の高さをユヴェントスに買われた。その後、ブルガリア代表FWのヴァレリ・ボジノフとのトレードによってフィオレンティーナに移籍、現在に至っている。最近はフォワードだけでなく貴重なオプションとしてサイドのミッドフィルダーとしても起用されている。
[編集] 所属チーム歴
- アルゲス・ピテシュティ(ルーマニア) 1996-1998
- ディナモ・ブカレスト(ルーマニア) 1998-1999
- インテル(イタリア) 1999-2000
- ヴェローナ(イタリア) 2000-2002
- パルマ(イタリア) 2002-2003
- チェルシー(イングランド) 2003-2004
- ユヴェントス(イタリア) 2004-2006
- フィオレンティーナ(イタリア) 2006-
[編集] 外部リンク
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