アーサー・ルイス
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ウィリアム・アーサー・ルイス(William Arthur Lewis, 1915年1月23日 - 1991年6月15日)は、イギリスの開発経済学者。1979年にルイスはセオドア・シュルツとともにアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を受賞した。ルイスは平和賞以外のノーベル賞を受賞した初の黒色人種である。
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[編集] 生涯
ルイスは1915年1月23日に西インド諸島セントルシアに生まれた。ルイスは1932年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの奨学生となり、新古典派経済学の経済発展理論を学んだ。
ルイスは1937年に理学士号を、1940年に博士号を取得した。その後マンチェスター大学で教鞭を執り、1959年に西インド大学の副学長に任命された。1963年にルイスはナイトの爵位を授与されると同時にプリンストン大学の講師に任命され、1970年にはカリブ開発銀行の頭取に就任した。
1979年、ルイスはアメリカの農業経済学者、セオドア・シュルツとともにアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を受賞した。
ルイスは1983年に西インド大学を退職した後、1991年6月15日にバルバドスのブリッジタウンにて76歳で没した。そしてルイスの遺体は、ルイスの名誉を称えてその名が付けられたセントルシアのサー・アーサー・ルイス大学の構内に埋葬された。
[編集] 業績
ルイスの最大の業績は、発展途上国が抱える問題を説明するため、二重経済モデルと取引条件モデルを構築したことである。ルイスはこの「発展途上国問題の考察を通じた経済発展に関する先駆的研究」が称えられ、1979年にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を受賞した。
二重経済モデルは、1930年代の世界経済、特に周辺国の実情の分析から、古典派経済学の視点で構築された分析モデルであり、これは発展途上国の経済を資本家的部門(近代部門)と生存維持的部門(伝統的部門)とに分けて分析するものである。この理論は、農村の農業部門と都市の工業部門の共栄であり、発展途上国の経済発展のためには相互に有機的な関連を持つことが必要であると主張するものである。
また、ルイスが行った初期の産業組織論研究からは、オーバーヘッド・コスト(製品・サービス個々の単価に振り分けることの困難な、初期投資、固定的費用、税金といった全体に関わる諸経費)の概念が生み出された。
[編集] 二重経済モデル
二重経済モデルは、経済を単純に2つの部門に分けて分析するモデルである。ルイスは発展途上国の経済を伝統的部門(低賃金で無制限に近い労働供給がある部門)と近代的部門(大量の資本がある部門)とに分けて分析する二重経済論を考案し、伝統的部門からの無制限労働供給によって、一定の賃金水準において労働供給曲線が無限に弾力的になると説明した。特に余剰労働力を用いたインフラ投資が鍵を握るとして、政府による積極政策の必要性を説いた。
二重経済論はその後、ジョン・フェイやグスタフ・レイニスらによって、新古典派経済学の視点からモデル化されている。
[編集] 取引条件モデル
ルイスは、先進国と発展途上国との間で取り交わされる取引条件の決定過程をモデル化した。ルイスは取引に参加する国を富裕国と貧困国の2グループに分類した上で、各グループの国はそれぞれ2種類の財(富裕国は食物と鉄鋼、貧困国は食物とコーヒー)を生産するモデルを構築した。そして、このモデルにおいて同一グループ同士では財の取引を行わないと仮定したとき、2つのグループ間の取引条件は農業部門の相対的な労働生産性によって決定されることを示した。
[編集] 外部リンク
- ノーベル財団の公式ホームページ(英語)
カテゴリ: イギリスの経済学者 | ノーベル経済学賞受賞者 | 1915年生 | 1991年没