ウスティカ島
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ウスティカ島は、イタリアのシチリア島北方にある島である。面積は約8km²で、人口は1,330人(2001年)。シチリア島の中心都市、パレルモからフェリー定期便が運行されている。
[編集] 歴史
島の古名は、納骨堂を意味する古代ギリシャ語の”Osteodes(オステオデス)”だった。島は海底火山が爆発した時に流出した溶岩でできている。海岸は岩場などで砂浜はない。この荒々しい島に始めて足跡を記したのは、紀元前4世紀、カルタゴの餓死寸前の暴徒たちだった。紀元前1500年頃、ローマ人が来島し、島の名を「やけどをする」という意味のウスティオーネ(Ustione)と改めた。
6世紀に、ベネディクト会の修道士たちが移住を試みるが、東方から侵入して来たアラブ人と、彼らの撃退に立ち上がったヨーロッパ人との戦乱を嫌って、修道士たちは島を離れた。以来、海賊の跋扈など、周辺海域の緊迫が人々のこの島への定住を妨げて来た。
18世紀中頃、島はようやく、東に近接するリパリ島からの植民者90名(後の聖バルトロメオ守護聖人を含めて)を定住者として迎える事になる。しかし、20世紀に入って、ファシスト党政権によって島自体が1950年代まで監獄とされた。
1980年6月27日、当時の国内線航空会社、イタビア航空のDC-9旅客機がボローニャからパレルモに到着直前に、島の近海で突如墜落、乗員/乗客計81名が落命した(後に原因はミサイルの衝突とされた)。この事故は、島を不幸な形で有名にしてしまった。
ウスティカ島は、1986年にイタリア最初の海洋自然保護区の認定を受けている。
[編集] スポーツ・娯楽
この島の娯楽は、イタリアでは珍しくサッカーではなく野球であり、サッカー場はなく野球場が一つ存在している。通常、野球の試合は日曜日に行われ、サッカーの試合が放送中でも島民はテレビを後に野球場へ観戦しにくる。観客数は1試合あたり200~300人ほどで、平日の夕方に行われる練習の時も大勢の観客が見に来る。
[編集] 外部リンク
- Ustica Genealogy(イタリア語)
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