カシオペア (音楽)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カシオペア(Casiopea)は、日本のフュージョン界を代表するバンドの一つ。親しみやすいメロディーとテクニカルなリズム展開の曲調は多くのリスナーを惹き付け、日本ばかりでなく世界中にファンを持つ。最新作は2005年11月2日発売のライブDVD『5STARS LIVE』、2005年12月21日発売のアルバム「SIGNAL」。
2006年8月1日、野呂の「一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディング・ライブ活動を休止すると発表した。
目次 |
[編集] 歴史
1976年結成。ヤマハのアマチュア・バンド・コンテストEastWest出場を足がかりに活動を開始。
1979年のアルバム『CASIOPEA』でレコードデビュー時のメンバーは、
野呂一生(ギター)、向谷実 (キーボード)、櫻井哲夫(ベース)、佐々木隆(ドラム)。
デビュー前から評価は高かったが、同年の日本航空のニューヨーク・キャンペーンのCM曲として使用された
「I LOVE NEW YORK」で世間への認知度が広がった。
1980年、ドラムが神保彰にメンバーチェンジ。このメンバーのときが黄金期と呼ばれ、
数々の名作アルバム、名曲、名演を生み出す。海外進出も果たし、レコード発売ばかりでなく、
ヨーロッパ、南米、香港、東南アジアなどではライブも行うようになる。
1989年に櫻井と神保が脱退(ふたりはジンサクというユニットを結成)。
1990年、セッション・ベーシストの御大、鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎えるが、
1992年に日山が脱退し、当時弱冠22歳の熊谷徳明が加入。
メンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。
海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のポップス系アーティストとして初めて
韓国公演を行って話題となる。しかし、この年かぎりで熊谷が脱退。
1997年からのメンバーは、野呂、向谷、鳴瀬の3名。そこに神保がサポートメンバーとして復帰して支えていた。
2004年からは、その神保と則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、
Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。
[編集] 代表曲
デビュー以来の代表曲「ASAYAKE」(初収録は2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』)は、今日のライブでも必ずと言っていいほど演奏されている。また、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても人気があり、スポーツコーナーに「FIGHT MAN」(アルバム『FULL COLORS』収録)、天気予報に「SUNNYSIDE FEELIN'」(アルバム『CROSS POINT』収録)は定番中の定番。
[編集] ディスコグラフィ
1979年以来現在までに40枚近くのアルバムをリリースし、映像作品も含めると50アイテムを軽く越えてしまうので、先述の代表曲収録アルバム以外の代表作のアルバムと近作のみを表記する。
[編集] 代表作
[編集] 近作
- DVD作品「VINTAGE 2002」(2003年)
- アルバム「PLACES」(2003年)
- DVD作品「CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!」(2004年)
- DVD作品「the way of CASIOPEA」(2004年)
- アルバム「MARBLE」(2004年)
- ライブアルバム「GIG 25」(2005年)
- DVD作品「5 STARS LIVE」(2005年)
- アルバム「SIGNAL」(2005年)
[編集] バンド名の由来
1970年代半ばに野呂と櫻井で結成したものの、この二人以外に固定メンバーが揃わずに活動していたためバンド名も毎回適当に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出に、野呂が自宅に帰って母親に相談したところ「星座の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を広げて選んだのがカシオペアである。
ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元のカシオペヤ座(Cassiopeia)の正式な表記とは異なる。海外での活動の際、初見の人には「キャシオピー」と呼ばれることになるが、既にファンには「カシオペア」と認知されている。
[編集] 評価
ロックやファンクをベースとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主体にしたインストの音楽性は、黎明期の日本のフュージョン・シーンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ・スクエア(現・Tスクエア)とともに主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。また、商業的にも成功し、アルバムリリース毎にチャートの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを増やし続け、日本全国でホール展開のコンサート・ツアーを催していた。
しかし、80年代後半になると、全米進出のためにボーカルの導入やアメリカン・ポップ色を強くした音楽性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが顕著となる。さらに櫻井と神保の脱退という事態が追い打ちを掛けて人気に翳りが射した。
鳴瀬喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュー以来のロックやファンク・ティストのインストに絞った音楽性による継続した活動を行い、時間は掛かったものの旧来からのファンの回帰に加えて常に新しい世代のファンを増やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音楽業界の中で、2005年まで毎年常にアルバムを制作してリリースし続ける偉業を達成していた。
[編集] 「CASIOPEA vs T-SQUARE」
デビューもほぼ同時期であり、年代的にもそれほど違いはないふたつのグループが、初めて合同で本格的なステージツアーを2003年に開催。ツアー名は「CASIOPEA vs THE SQUARE」。「今までなかったのが不思議」(ザ・スクエア、伊東たけし・談)と言うくらいなのだから、これが初めてであるのは間違いない。
それまでは、それぞれのメンバーが個人的なライブなどでゲスト出演するということはあった。また、野呂一生と安藤まさひろ、是方博邦のギター3人ユニット(オットットリオ)もある。テレビ番組では、1990年代前半にテレビ東京系「タモリの音楽は世界だ!」で両バンドが共演している。
なお、ツアーそのものは好評を得て、DVD(2枚組)も発売中。