ガエターノ・ドニゼッティ
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ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797年11月29日 - 1848年4月8日)はイタリアのベルガモに生れ同地で没したオペラの作曲家として有名である。ロッシーニやヴィンチェンツォ・ベッリーニと共に19世紀前半のイタリアを代表するオペラ作曲家として人気を博した。
- 1806年(9歳) - サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長を勤めていたヨハン・ジモン・マイールの慈善音楽院で学ぶ。
- 1815年(18歳)- マイールの尽力でボローニャ音楽院入学。その後、法律家になる事を期待した父親の束縛を逃れる為に軍隊に志願。兵籍のまま作曲を続ける。
- 1830年(33歳) - オペラ『アンナ・ボレーナ』を発表し、名声を確立した。
- 1839年(42歳) - オペラ『ポリウト』をナポリで上演しようとしたが検閲官に拒否され、『殉教者』と改題しフランス語によりパリで初演。
- 1844年(47歳) - この頃から頭痛、神経性麻痺に見舞われ、1848年に故郷ベルガモに戻り50歳と4ヶ月で没する。
[編集] 作品
- オペラ『アンナ・ボレーナ』 初演1830年12月ミラノ
- オペラ『愛の妙薬』 初演1832年5月ミラノ
- オペラ『ルクレツィア・ボルジア』 初演1833年12月ミラノ
- オペラ『マリア・ストゥアルダ』 初演1834年10月ナポリ
- オペラ『ランメルモールのルチア』 初演1835年9月ナポリ
- オペラ『ロベルト・デヴリュー』 初演1837年10月ナポリ
- オペラ『連隊の娘』 1839年作曲、初演1840年2月パリ
- オペラ『ファヴォリータ』 初演1840年12月パリ
- オペラ『シャムニーのリンダ』 初演1842年5月ウィーン
- オペラ『ドン・パスクヮーレ』 作曲1842年、初演1843年1月パリ
- オペラ『ポリウト』 作曲1838年、オリジナルでの初演は1848年11月ナポリ
- その他
- レクイエム(1837年作曲)…ベッリーニの追悼用に作曲。
- 弦楽四重奏曲19曲、協奏曲、シンフォニア、合唱曲などを多数残している。
[編集] ドニゼッティの兄について
ガエターノの兄ジュゼッペ(Giuseppe Donizetti,1788-1856)は、当初軍人としてオスマン帝国に駐在したが、その後軍楽隊の洋楽教師となった。後にオスマン帝国の事実上の国歌となったマーチなどを作曲し、その功によりパシャの称号を与えられた。