グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)
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グスタフ6世アドルフ(Gustaf VI Adolf,Oskar Fredrik Wilhelm Olaf Gustaf Adolf Bernadotte、1882年11月11日 - 1973年9月15日、在位1950年-1973年)は、スウェーデン王。ベルナドッテ朝第6代国王。前国王グスタフ5世の子。母はバーデン大公フリードリヒ1世の娘ヴィクトリア。
グスタフ5世が長寿のため、彼が王位についたのは68歳になってからだった。王太子となるはずだった息子グスタフ・アドルフが不慮の事故により1947年にコペンハーゲンで亡くなっていて、遺された孫のカール・グスタフはまだ幼児だった。そのため、グスタフ6世アドルフを最後に王制を廃止して共和制に移行しようという主張がなされ、議会でたびたび議論された。しかしその後共和制は否決され、王家の存続が確定した。カール・グスタフは皇太孫として後継者となり得た。新基本法が発表され、王権は完全に消滅してしまったものの、第2条により一応は国王が元首となっている。
ちなみにグスタフ6世アドルフも長寿を全うした。グスタフ6世の最初の妻は、イギリス王族(サクス・コバーグ・ゴータ家)であるコノート公アーサー(ヴィクトリア女王の三男)の娘マルガレータ(マーガレット)である。2人の間にはグスタフ・アドルフをはじめ5児が生まれるが、1920年にマルガレータは急死した。1923年、ミルフォード=ヘイヴン侯ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの娘でルイス・マウントバッテン卿の姉に当たるルイーズと再婚する。彼の長女イングリッドはデンマーク王フレデリク9世に嫁いだ。
グスタフ6世は政治的行動を全く取らなかった。これは、スウェーデンの王権の有効性を自ら否定し、象徴的王制へと転換していく端緒となった。父王グスタフ5世の頃から王権は制約されていたが、6世の時代はすでに歴史の必然となっていた。またグスタフ6世は、考古学の専門家として、学者国王として君臨した。そして、スウェーデンの国是となった、国の標語:För Sverige i tiden (スウェーデン語:スウェーデンのために、時代と共に)は、グスタフ6世が国王即位の時にスウェーデン国民へ向けて発せられた、政治的な誓いのスローガンである。
- スウェーデン国王
- 1950年 - 1973年
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- 先代:
- グスタフ5世
- 次代:
- カール16世グスタフ