グリゴリー・ペレルマン
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グリゴリー・ペレルマン(Григорий Яковлевич Перельман, Grigory Yakovlevich Perelman, 1966年6月13日 - )はロシアの数学者。ユダヤ系。ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。専門は幾何学・大域解析学・数理物理学。サンクトペテルブルク大学で学びアレクサンドル・アレクサンドロフのもとで博士号を取得。その後ニューヨーク州立大学ストニーブルック校、カリフォルニア大学バークレー校で研究をした。ロシアに帰国後はステクロフ数学研究所に所属していたが、2005年12月に退職届を提出し、翌2006年1月以降は同研究所に現れていないとされる。
ポアンカレ予想の解決で有名になったと思われがちだが、実際はユーリ・ブラゴ、ミハイル・グロモフとともにアレクサンドロフ空間の幾何学を構築したことで一部の人のあいだでは既に著名であった。アレクサンドロフ空間の構造論を生み出し、リーマン多様体の安定性定理を与えた。この分野におけるグロモフの予想、Cheeger-Gromov予想の解決もペレルマンの仕事である。
arXivで以下の3つのプレプリントを発表しポアンカレ予想を解決したと宣言した。
- The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications
- Ricci flow with surgery on three-manifolds
- Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds
真に驚くべきなのはウィリアム・サーストンの幾何化予想(ポアンカレ予想を含む)を解決して(と宣言した)その結果としてポアンカレ予想を解決したことである。手法もリッチ・フロー(ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論)と統計力学を用いた大変独創的なものである。
現在はまだ検証段階ではあるが、成功したのではないかと考えている人もいる。またもし失敗していたとしても、非常に強力な手段になりうると考えられている。
2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により数学界のノーベル賞であるフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞したが、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞辞退した。アメリカの雑誌の取材に対して「有名になると何も言えなくなってしまう」とも答えている。なお、フィールズ賞の辞退は彼が初めてである。また、これ以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞などを辞退したりしている。その他100万ドルに全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない。
現在は故郷で母親とわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明だがひそかに新しい研究をしてるとも言われている。以上のように、ほとんど人前に姿を見せないなど、一風変わった人物である。
[編集] 略歴
- 1966年 - ロシアに生まれる。
- 1982年 - 国際数学オリンピックで全問満点で金メダルを獲得。
- 1996年 - ヨーロッパ数学会賞受賞するも辞退。
- 2003年 - サーストン幾何化予想、及びその系としてポアンカレ予想の解決を宣言。
- 2006年 - フィールズ賞受賞するも辞退。
[編集] 関連項目
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