サンアントニオ
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愛称: "Alamo City" | |
位置 | |
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テキサス州サンアントニオの位置 | |
座標: 29° 32′01.3″N 98° 28′11.2″W | |
行政 | |
郡 | ベクサー郡 |
市長 | Phil Hardberger |
地理 | |
面積 | |
市域 | 1067.3 km² (412.1 mi²) |
陸上 | 1,055.6 km² (407.6 mi²) |
水面 | 11.7 km² (4.5 mi²) |
標高 | 198 m (650 ft) |
人口動勢 | |
人口 | |
市域 (2005年) | 1,256,509人 |
人口密度 | 1,084.4人/km² (2,808.5人/mi²) |
都市圏 | 1,889,797人 |
等時帯 夏時間 |
中部標準時 (UTC-6) 中部夏時間 (UTC-5) |
公式ウェブサイト: www.sanantonio.gov |
サンアントニオ (San Antonio) は、テキサス州西部に位置する都市で、人口は123万人(2004年)、近年特に人口が急増している都市の1つとなっている。州西部の商業、金融、工業の中心地で食品業のほか、航空機、建築材など多種多様な工業が発展している。また、市の内外に空軍基地があり、軍事都市としての一面も持つ。一方で、西部時代を色濃く残し、独立戦争の傷跡であるアラモの砦や近年特に人気が高いリバー・ウォークなどがあり、年間1000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても発展。
目次 |
[編集] 歴史
1720年にスペイン人宣教師が入植、市名の由来はこの地に設けられた二つの砦に基づく。1848年にグアダルーペ・イダルゴ条約によってスペイン統治下からアメリカ国土となる。それまでの間、アラモの砦の戦いに見られるような激しい争いが繰り広げられた。1877年に鉄道が開通し、畜産物、とりわけ牛の取引所として発展。
[編集] 地理
アメリカ合衆国統計局によると、この都市は総面積が1,067.3 km² (412.07 mi²) である。このうち1,055.6 km² (407.56 mi²) が陸地で11.7 km² (4.51 mi²) が水地域である。総面積の1.09%が水地域となっている。この都市はバルコニー急斜面上にある。
[編集] 人口動勢
2000年現在の国勢調査によると、サンアントニオはアメリカ合衆国内で9番目に大きくテキサス州内で3番目に大きい都市である (2004年7月1日のアメリカ合衆国統計局によると8番目及び2番目と見積もる)。この都市は人口1,144,646人、405,474世帯、及び280,993家族が暮らしている。人口密度は1,084.4/km² (2,808.5/mi²) である。
410.3/km² (1,062.7/mi²) の平均的な密度に433,122軒の住宅が建っている。Texas.com によると、サンアントニオの現在の人種構成は:ヒスパニック系以外の白人32%、アフリカン・アメリカン7%、アジア2% 、ネイティブ・アメリカン1%;人口の58%はヒスパニック系である。
この都市内の住民は28.5%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が10.8%、25歳以上44歳以下が30.8%、45歳以上64歳以下が19.4%、及び65歳以上が10.4%にわたっている。中央値年齢は32歳である。サンアントニオ内の、人口の48%は男性であり、人口の52%は女性である。女性100人ごとに対して男性は93.5人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は89.7人である。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は36,214米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は41,331米ドルである。男性は30,061米ドルに対して女性は24,444米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 (per capita income) は17,487米ドルである。人口の17.3%及び家族の14.0% は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の24.3%及び65歳以上の13.5%は貧困線以下の生活を送っている。
[編集] 交通
サンアントニオ国際空港はダウンタウンからおおよそ8マイル、サンアントニオ市北部中央部に位置する。ここは2つのターミナルがあり12航空会社がメキシコの3都市を含む28都市へ就航している。広範囲にわたるバスとトロリー・システムはこの都市の広域都市圏交通システム「VIA」によって提供されている。VIA はダウンタウンからテーマパークへの急行路線を含む、78バス路線と4つのトロリー路線を提供している。VIA はまたパークアンドライド駐車場から、Spurs ゲームとシティ・パラダイス (city parades) を含む市のイベントにスペシャルサービスを提供している。
[編集] メディア及び娯楽
[編集] 新聞
サンアントニオは1865年以来サービスしているサンアントニオ・エキスプレスニュース (w:San Antonio Express-News[1]) という、1つの主要な新聞社がある。エキスプレスニュースは現在テキサス州南部で最大の新聞サービスを提供している。2番目の新聞社 San Antonio Light は現存しているが、ここは1993年に営業をやめた。
[編集] テレビジョン
この都市は国の中で最大の1つであるが、サンアントニオ市はニールセンによると、アメリカ合衆国内で37番目に大きなテレビジョン市場となっている。以下のリストはこの都市の主要な系列テレビジョン放送局である。
サンアントニオ市場内のテレビジョン放送局 | ||
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KBEJ 2 (w:UPN) - WOAI 4 (NBC) - KENS 5 (CBS) - KJLF 7 (Ind) - KLRN 9 (w:PBS) - KSAT 12 (ABC) - KNIC 17 (Ind) - KTDF 18 (w:TV Azteca) KHCE 23 (w:TBN) - KEVI 25 (Ind) - KPXL 26 (PAX) - KABB 29 (FOX) - KRRT 35 (w:The WB) - KWEX 41 (UNV) KQEV 46 (DS) - KFTO 47 (UNV) - KVDA 60 (TEL) |
[編集] ラジオ放送局
約40のラジオ放送局はサンアントニオ地域で聞く事ができる;それらの30局はサンアントニオ市内に本拠を置いている。テキサス州南部で放送する最初のラジオ局は1922年にKTSA AM-550が行った;その放送局はサンアントニオで唯一24時間ローカル・ニュース/トーク放送局として現在も続いている。他の重要な放送局はサンアントニオ・スパーズの本拠地ラジオ局である、WOAI AM-1200 (WOAI TV 放送局の系列局) である。
[編集] リバー・ウォーク
同市が米国のベニスと呼ばれることがある。それは、市街に設けられたリバー・ウォークの存在に因む。開発の契機となったのは1921年の大規模な洪水で、これは市内に甚大な被害をもたらした。これを機に議会は治水、灌漑の整備を進めるが、一方で水路埋め立てによる環境破壊を招くとして、推進派と反対派が対立。これを時の市長が共存を図るため、水路と市街地を生かしたリバーウォーク構想が打ち立てられ、1929年から着工、一帯に商店が建てられ、新たな中心街となった。だが、後に大戦が迫ると市民の関心は薄れ、またモータリゼーションによる市内の空洞化が顕著になると、戦後しばらくは浮浪者の溜まり場となってしまい、ゴーストタウンと化した。事態を重く見た市は1963年に再開発のマスタープラン、パセル・デル・リオ(川の遊歩道)を打ち立て、再生に取り組む。1968年に万国博覧会が開催され成功を収めると、全米における市の関心、地位は高まり、大規模コンベンションセンター、レストラン、劇場、ショッピングモールなどが相次いで建てられていき、文化の拠点としても発展、今日に至る。
[編集] スポーツ
- サンアントニオ・スパーズ (NBA)
- サンアントニオ・シルバースターズ (WNBA)
- サンアントニオ・ラムペイジ (AHL)
[編集] 姉妹都市
- グアダラハラ(メキシコ合衆国)
- 高雄市(中華民国)
- 熊本市(日本)
- 光州広域市(大韓民国)
- ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア(スペイン)
- モンテレー(メキシコ合衆国)
- サンタ・クルス・デ・テネリフェ(スペイン)