スカンジナビア (客船)
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スカンジナビアは、1927年建造のヨット型クルーズ客船。
クルーズ客船「ステラ・ポラリス」として運用された後、コクド(現:[西武ホールディングス]])傘下の伊豆箱根鉄道が所有・管理し、係留地の静岡県沼津市西浦でホテル兼レストラン「フローティングホテル・スカンジナビア」として利用された。
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[編集] 概要
[編集] 進水・処女航海
1926年11月、スウェーデン南西部のゴッテンバーグ(スウェーデン語: Göteborg、イェーテボリ)造船所にて建造、翌1927年2月23日にステラ・ポラリス(M/S Stella Polaris、北極星の意)として進水した(発注主:ベルゲンライン社(ノルウェー))。2月26日に出向した処女航海の目的地はロンドンであった。 優雅な姿から「七つの海の白い女王」と呼ばれ、富裕層を対象にしたクルーズ事業向け客船とし以後世界中を航海した。
[編集] ナチスドイツによる接収
1940年、ヒトラー政権下のナチスドイツによるノルウェー侵略により、ドイツ軍による接収が行われた。ナチスドイツ戦時下でも戦災には巻き込まれずに戦後(1945年)ノルウェーの元の所有会社ベルゲンライン社に返還される。
[編集] 故郷に戻り修復
1946年、ナチスドイツによる接収の間、船体の整備は必ずしも良好でなく、また調度品の類にもダメージを受けたので故郷であるイェーデポリに回航されフルレストアを施された、このときブリッジの密閉化に代表される改修が行われた。
[編集] クルーズ船として復帰
1947年、修復と改修を終えたステラポラリスは、クルーズ船としての就航を WW2 の混乱が続く中いち早く開始した。 この頃、航空機との競争で独自色を出す必要が出た来たクルーズ専用船達にとって、ステラポラリスは先駆者的な手本となり、後進のクイーンメリー・クイーンエリザベス(QE I)・ユナイテッドステーツなどに多くの影響を与えた。
[編集] 故郷スウェーデンの船籍に
1959年にスウェーデンのクリッパーライン社に売却された、このとき近代化はあえて行わず、むしろベルゲンライン時代の良さを残す形で修復が行われた。
[編集] SOLAS条約
SOLAS条約とは「海上における人命の安全のための国際条約」の事である。 [1912年]年の『タイタニック』の事故を機に1929年に締結され、数々の改定を経て今日でも国際的な海難防止の礎を築いている。 1974年の改正は、ステラポラリスにとっては、大規模な改修を行われなければ、就航不能となる厳しい宣告となった。 施行までの猶予期間は設けられたものの、これを機にステラポラリスの豪華客船としての歴史は閉じることとなる。
[編集] 日本への売却
1969年、就航40年以上を経過したステラポラリスにクリッパーライン社(スウェーデン)は、クルーズ客船としての多額になる維持修復を続けるより売却を選択した。 当時の日本が高度経済成長を迎えるなか、積極的にリゾート計画開発を行っていたコクドに沿って、傘下企業の伊豆箱根鉄道が沿線リゾート開発目的での買収によるホテルシップ構想を表明、5億円で金銭譲渡されることになった。 契約条項に「ステラ・ポラリスの継続使用は認めない」件が含まれていたため、名称を「フローティングホテル・スカンジナビア」として静岡県沼津市西浦木負767沖に投碇、1970年7月25日に営業を開始した。 コクドは当初、スカンジナビアを中心に水族館などを併設した総合レジャー施設:今日で言うテーマパークを建設する構想があったが、周辺用地の買収などの難航により頓挫、三津天然水族館(現:伊豆・三津シーパラダイス)とは長井崎を挟み 2 km 程はなれての開業となった。 水族館とは遊覧船で結ばれてはいたものの、レジャースポットとしての連続性には欠けるものとなり、観光資源の価値はやや低下することとなる。
こうした状況の中、グループ企業にプリンスホテルを持つ強みを生かしたホテルのサービスノウハウ、レストラン料理部門の充実により数多くの利用客に親しまれ、リゾート地としての人気を長年継続していた。 こうした背景には、富士山を背景にしたスカンジナビア号の気品ある景観の美しさは評判を呼び、ホテルとしての付加価値・魅力にも繋がった事を上げなければならない。
業績としては、ピークの1990年度に船内のレストランだけで年間約6万人が利用し、約103千万円の売り上げを記録した。
[編集] ホテルの営業終了
1999年、バブル景気終了後の消費低迷・リゾート不況の影響で、人員削減・リストラなどの経費節減を実施していたが、客室稼働率が著しく低下していたホテル部門の撤退を発表。ホテル主体の事業からレストランに業態転換をおこなう。
[編集] レストランの営業終了
2005年に西武鉄道グループの事業再編計画が始まり、建造後70年以上経過した老朽化の激しい船体の維持管理に掛かる莫大なコスト、不採算事業の見直しによりるレストラン部門の閉鎖、これらによるスカンジナビアの売却方針がマスコミに発表され、地元の地域住民による海の海洋文化財としてこのまま地元に残すべきとした声が多く集まり、保存運動・シンポジュウム開催などの活動、署名を集めて所有者の伊豆箱根鉄道へ陳情を行った。2005年(平成17年)3月31日に惜しまれつつレストラン営業が終了となった。
[編集] 転売に難航
2005年、海洋クルーズ運航のランティー(BVI、英領バージン諸島)との間に売買交渉が持たれ、7月中には修理のために日本を離れて上海に向かうとの報道があったが、翌2006年になっても曳航準備の動きなく、売買交渉が難航していると報道される。最終的にこの売買交渉は成立しなかった。
[編集] 曳航中の事故
スウェーデンの企業『ペトロ・ファースト社』へ売却が決まった。2006年(平成18年)8月31日に伊豆箱根鉄道社長、沼津市長らが参加して出航式が行われ曳航される形で沼津を出航した。この後、9月7日上海に寄港し改修したのち再びスウェーデンでホテル兼レストランとして営業する予定だったが、引航中の1日21時頃船体が左傾しはじめ、23時30分頃状態確認のため串本町潮岬西側の入江にはいった。しかし傾斜はおさまらず、じょじょに浸水し沈み始めた。2日午前1時30分頃再び沖合に向かったが、しかし午前2時頃和歌山県潮岬沖約3kmの海底72mに沈没した。 沈没の原因は不明であるが、36年間の係留で船体が傷み、強度はほとんどなかったはずで、最悪の事態として沈没は想定の範囲内であるとの指摘もある。台船に積載して運搬する方法もあったはずという。
西武鉄道グループの事業再編から始まったスカンジナビア売却は、第二の活躍の地・係留地日本で36年を過ごした後、再び建造国スウェーデンへ戻ることなく、太平洋の海底で79年の船籍を終えることになった。
[編集] 諸元
船名 | スカンジナビア(ステラ・ポラリス) |
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全長 | 127.0 m |
全幅 | 16.7 m |
全高 | 44.0 m (船底 - マストトップ) |
ブリッジ高 | 17.0 m |
吃水 | 5.5m (船底 - 吃水) |
総トン数 | 5105 t |
[編集] スカンジナビア事業内容
- 2005年閉鎖前の営業内容
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- スローティングレストラン・スカンジナビア‐北欧料理のバイキング形式での提供。「グリル北欧」レストランの運営。
- ドルフィンウエディング‐伊豆三津シーパラダイスでイルカ達と結婚式&スカンジナビアでウェディングパーティを企画運営。
- 多目的ホール・北極星‐広い船内スペースを活用したパーティ用などのイベントスペース。
[編集] 位置情報
- 沈没地点(田辺海上保安部発表による)
- 北緯33度26分58.98秒東経135度43分33.78秒
- 田並[南東] - 国土地理院2万5千分の1地形図
- 33.449717, 135.726050 (ステラポラリス号沈没地点) - Googleマップ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 『ステラ・ポラリス』の歴史
- フローティングレストラン スカンジナビア
- スカンジナビア号を保存する会
- 2006年8月31日のスカンジナビア出航の様子 デジタルジェイピー社によるストリーミング動画が視聴できる。
- 伊豆箱根鉄道