スーパージョッキー
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『スーパーJOCKEY(SUPER JOCKEY)』とは、日本テレビ系列で1983年1月9日から1999年3月28日にかけて放送されたビートたけしが司会のバラエティ番組である。放送時刻は毎週日曜日の13:00~14:00(日本時間)。
前に同じ時間帯でやっていた土居まさる(終了前9ヶ月間は松崎しげる)が司会の『TV JOCKEY』から受け継いでの放送だった。
番組スタート当初は『THEガンバルマン』コーナーが看板のお笑い番組だったが、『熱湯コマーシャル』が開始したあたりからこの番組はお色気番組として有名になった。生放送という触れこみだったが、後期には録画放送が多かった(二本撮りで一本目が生放送、二本目が録画という特殊なスタイルだったらしい。又、『THEガンバルマン』のコーナーは予め収録したものを生本番中にビデオ再生して、観客に見せていた。ゲストの歌についても、前期は生放送で流していたが、後期はあらかじめ収録したものを放送するスタイルに変更された)。
ビートたけしがフライデー襲撃事件で芸能活動を自粛した際には山田邦子が司会を務めた。又、たけしが原付バイク事故で入院中は特に代役は立てずに残りのレギュラー陣のみで放送していた(その中でも特に細川ふみえが司会役を行っていたこともある)。
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[編集] 番組コーナー
[編集] 熱湯コマーシャル
番組内では人気のある企画で、後述の『THEガンバルマン』の名物コーナーであった『熱湯風呂』企画から派生して1993年頃に始まったコーナーである。テレビコマーシャルをしたい人達が集まり、ルーレットで熱湯に入る人を決め、熱湯に入った秒数(最大30秒)で宣伝をする企画。熱湯の温度は摂氏51度前後。ルーレットの結果により急遽入湯する事になった場合、その場で簡易脱衣室が設置され、制限時間内(私服の女性は50秒。男性は服装にかかわらず30秒)に水着に着替えることになり、時間が経つとカーテンが自動的に下に落ちる仕組みになっている。生放送ということでハプニング(時間内に着替え終わらない。胸や股間が露出しそうになる。ちなみにダンカンは着替えに間に合わず、全裸のままカーテンが落ちてしまうハプニングもあった。この時カメラは何故かカーテンが落ちる数秒前に天井に向けられて事なきを得た。カーテンが落ちた後はスタジオの女性観客の悲鳴が聞こえ、ダンカンは股間を押さえながらスタジオの外へ逃げて行った。ダンカンの一件はあくまでハプニングだったとされているが、ルーレットが「軍団」に当たった際、井手らっきょは毎度のように時間内にカーテンを出て、外で着替えることがあり、観客からは悲鳴が飛んだ(カメラには映らない位置で)。簡易脱衣室が狭いため女子高生数人が着替えている途中でお尻がはみ出すことや、素人女性がバスタオル1枚の姿で熱湯風呂に入った時熱さのあまりバスタオルを外してしまい、胸が露わになるハプニングもあったが(この時の瞬間視聴率は番組史上最高だった)、その際は苦情も入った。着替えのときには、天井からその様子を映すカメラもあり、日曜昼間の番組にしてはかなりのお色気を醸し出していた。着替え終わった人は前の方にある回転床に乗り、ガダルカナル・タカの「レッツ!しだるまタイム!」という掛け声とともにその姿をお披露目した。「しだるま」という言葉の意味は、ただ「まるだし」を業界用語っぽく逆読みしただけと思われる。ルーレットは後に、宣伝内容に関係する出演者や番組として熱湯に入れたい出場者の名前を書いたシールを貼って、的を上書きし、当たり易くされるようになった。
最晩期は上島竜兵と辺見えみりが「熱湯兄弟」を結成し、CDデビューも果たした。このCDのカップリングは、当時出場者にHなクイズや質問を出題する見にコーナー「熱湯クエスチョン」の質問集を収めていた。菅谷大介が「熱湯アナウンサー」として出題者を務めていたが、毎回苛められるのが恒例であった。ちなみに答えられないと、やかんに入った熱湯が追加された。
1993年当時、日本テレビのアナウンサーだった藪本雅子が入湯した際、アナウンス部がこれについて「一社員にこんないかがわしいことをさせるとはどういうことだ!」と番組制作班に猛抗議。これ以降、日テレの女子アナが入湯するのは禁止された。またフジテレビもこの動きに倣い、系列局も含めた女子アナの入浴シーンが禁止された。その4年後の1997年、ルーレットで当たった当時日テレアナの大神いずみ(現:野球評論家元木大介夫人)が入湯を拒否したために、当時のアナウンス部長松永二三男らが藪本の一件以降のアナウンス部の方針について謝罪し熱湯に浸かった。しかし、大神は全国から抗議の声が殺到。日本テレビからフリーへ転向するきっかけとなった。
ルーレットには「殿」(たけし。スペースは金色に塗られていた)もあったが、ルーレット1コマ分しかスペースが無いのでまず当たらなかった。しかし、放送500回記念だった1994年7月31日の放送で、非常に大きな的だったとはいえはじめて「殿」に命中。たけしがついに熱湯に入ることとなった。ちなみに、たけしがバイク事故を起こすのは、放送からわずか2日後の8月2日のことであった。また、ダチョウ倶楽部の上島竜兵が入る際、決まって「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言うが、この中の「絶対に」という言葉は「押せ」という意味である。
2005年8月28日早朝、同窓会という形で一夜限りの復活を果たした(24時間テレビ内にて)。2006年の24時間テレビでも行われた。しかしダチョウ倶楽部以外には当時のメンバーは参加しなかった。
[編集] 熱湯コマーシャルハプニング
生放送ということもあってハプニングは欠かせない、それらをまとめてみた。
- 飯島愛時間内にカーテン落下
- 飯島愛がノーマル簡易更衣室で着替えてる最中残り16秒のときに突然残り時間表示表が消えて、時間内であるにもかかわらず突然カーテンが落ちた(実際には、電気系統の故障だったという)。
- キャンギャル胸が出る
- 有名サッカー選手が出版した本のために入浴したキャンペンガールの着替えの時に時間内に全然間に合わずセミヌード状態に。入浴した時にもバスタオルの一部が外れて乳輪が半分映ってしまった。
- グラビア女優ビキニが小さい!
- グラビア女優が着替えた際に、胸が大きすぎて用意されたビキニが入らなかったというハプニングも起きた。仕方なくバスタオルを巻いて入浴する羽目に・・・。
- 若い女性全裸ハプニング
- 番組後期に起きたハプニング。若い女性が着替えたのだが、予想以上に着替えに時間がかかってしまい完全全裸状態でカーテンが落下してしまいスタジオ全体が大混乱。カメラマンが横のアングルからだが、彼女の全裸状態を映してしまった。
- 蛭子激怒
- T.M.Revolutionの服装で登場した蛭子能収が入浴した時に、上島が蛭子に熱湯をかけて蛭子が激怒(一瞬だけだったが)。
- イメージキャラクター首落下
- マスコットキャラクターが入浴することになり、入ったのだがあまりの熱さに暴れてしまい、マスコットキャラの首部分が落ちてしまった。
- 男性洋モノ
- 外国の男性が着替えてる時に山田まりやなどが着替えを覗き「すごい!大物!」とはしゃいでいた。
[編集] THEガンバルマン
たけし軍団を始め、芸人達が体を張って、いろんな事に挑む企画。『熱湯コマーシャル』が始まるまではこのコーナーが番組の看板コーナーで、主に下記のようなチャレンジ企画があった。
- 熱湯風呂シリーズ
- 拷問シリーズ
- 水中シリーズ(水中ジェスチャーなど)
- 格闘技シリーズ
- 整体シリーズ
- スタントアクションシリーズ
- ロケシリーズ(フライデー事件によりたけしが出演していない時期に一時的に行われていた)
[編集] どうですかお客さん
まだ知られていないマイナーな製品を紹介するコーナー。誰も欲しがらないような、あまり意味の無い製品を紹介することも多かった。
番組初期~中期時代は「JOCKEY-1~週変わりのサブタイトル」で称され、ビートきよしと石倉三郎が週交代でマイナー製品コーナーの司会進行をしていた。
[編集] JOCKEY-2
番組初期から中期まで。たけしが座って小ネタを発表するコーナー。有名人のそっくりさんの写真を募集する「よく見りゃ似てるこの2人」や、昔の特撮モノの変なところを重箱の隅をつつくようにツッこむ企画、マイナーで妙な歌ばかりを集めて流す企画などを週変わりで発表していた。
[編集] ゾロ目でドーン!
番組最末期にあったコーナーで、ゲスト・一部の観覧客を含めた出演者が1人ずつサイコロを投げて、予めたけしが出したサイコロの目と同じ目を出す事を目指す。たけしの出した目に応じて賞品を決定。制限時間内でたけしが出したサイコロの目を出した人は、賞品獲得を賭けたサイコロを振る(後に、顔面ラップ破り等のゲームに変更)。「本人」を出せば(ゲームを成功すれば)賞品が本人に、逆に視聴者を出せば(ゲームに失敗すれば)賞品が視聴者にプレゼントされた。大抵サイコロに細工がしてあったりラップが厚かったりと、視聴者プレゼントになるようないかさまが施されていた(それでも数回程、出演者が賞品を獲得するケースもあったが)。ただ生放送時は制限時間を設定せず時間になったら終了となった。
[編集] その他
- 前身の『TVジョッキー』に引き続き芸能情報・映画情報コーナーがあり、芸能情報は日景忠男が(日景の降板により芸能情報は撤廃に)、映画情報は水野晴郎が担当した。
- その他、ゲストの歌手が歌を生で歌う企画やクイズ企画、単発の企画などがあった。
- ちなみに、カテゴリは一応バラエティ番組に属するが、ゲストの歌を披露する時間も多めに取っており、ゲスト歌手は初期~中期は3~4組、後期は2組前後出演する番組内容となっており、特に前期に関してはアルバム収録曲も同番組で披露されることもあった。また、番組開始当初からステレオ放送であった。このためか、カメラ撮影などには音楽番組チームのスタッフが起用されていたらしい(番組中で山田邦子が話していた)。
- 80年代後期の頃、番組内のクイズコーナーのロケで浅草キッドが、人間が入れるぐらいの発泡スチロールで作られたサイコロの中に入り、それを転がし、サイコロの出る目は何かという企画にて、様々な所で、その巨大サイコロを転がしたが、スキー場で転がした際、水道橋博士が入ったサイコロは、途中で水道橋博士が投げ飛ばされるものの、無事に雪が積もってる所に着地したが、玉袋筋太郎が入ったサイコロは、スキー場の谷底に落ち、谷底に落ちた玉袋筋太郎は、しばらくの間、気絶し、周囲に緊張が走るシーンがあった。そして、この映像は、日本テレビの21世紀に残しておきたい映像に選ばれた。
[編集] ネット状況
- 高知放送は番組開始当初は同時ネットだったが、番組がお色気化に配意したために翌日月曜の深夜に枠移行、代わって『笑撃的電影箱』の遅れ放映を開始した。また番組のローカルスポンサーは同じ曜日で遅れ放送していた『とんねるずのみなさんのおかげです』に移行した。
- テレビ朝日系列局がなかった地域(山梨放送、北日本放送、福井放送、四国放送の放送エリア)では、東京国際女子マラソンや福岡国際マラソンの中継時、また高校サッカー地区大会決勝の放送があった場合、『スーパージョッキー』を同日深夜に回すことがあった。
- 福島中央テレビでは、番組の内容が一部カットされ、CMの時間に当てられた。
- 山口放送では、防府読売マラソンのテレビ放送を初めて行った際、放送を取り止めた。しかし、2度目の放送以降は、なぜか、同日深夜に放送された。
[編集] 番組打ち切りへの経緯
長期化に伴うマンネリ化で、裏番組である『噂の!東京マガジン』や『新婚さんいらっしゃい!』、『パネルクイズ アタック25』に視聴者を奪われたことも番組終了の要因であるが、当時の日本テレビ社長氏家齊一郎が民放連の会長を務めていた当時、「これからは健全なテレビの製作を目指す」と述べたところ、「ならばアンタのところのスーパージョッキーを打ち切って襟を正せ!!」と非難されたためにやむなく打ち切りを決定した事が最も大きな要因とされる(当番組の制作会社の社員が、「かつてスーパージョッキーという番組をやってたんだけど、あまりにお下劣で社長から怒られたことがある」と漏らしていた)。この打ち切りに、2度の降板・終了の危機を乗り越えて司会を担当してきたビートたけしは「芸人として思いっきりバカができる番組がなくなってしまう」と嘆いたという話も残されている(ダンカン談)。
なお、番組終了後は日曜13:00枠はローカル枠に格下げされた。日本テレビ(関東地方)では『とりあえずイイ感じ。』が後番組として放送された。『とりあえずイイ感じ。』終了後の後番組には『日本のミカタ』、『巨人中毒』が放送されたが、裏番組には勝てず、現在は特別番組の再放送枠になっている。また、その他の地域では枠が分割され、特別番組の再放送枠などの後、日曜13:30~15:00に『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)が入っている地域が多くなっているが、皮肉にも日本テレビへのネット開始はやしきたかじんの強い要望もあり、ほぼ皆無である。また、『噂の!東京マガジン』同時ネット地区では、視聴率的に一騎打ち争いが繰り広げられている。なお、日本テレビは2006年10月より『いただきマッスル!』(中京テレビ制作)を12:35~13:25に移動させて現在に至る。
[編集] 出演者
[編集] 司会
但し、1986年12月から1987年8月まで(フライデー襲撃事件に伴う謹慎)、及び1994年8月から1995年3月まで(バイク事故による療養)の時は出演せず。前者に関しては代役の司会を太田プロ所属の後輩、山田邦子(回によってはたけしの親友である所ジョージも参加)が担当し、後者に関しては特別な代役は立てなかったが、『たけし軍』内でもMC能力に長けているガダルカナル・タカが実質的には代理司会を務めていた。
[編集] レギュラー出演者
フライデー襲撃事件のため、たけしのほか軍団主要メンバーが総じて謹慎することになった1986年12月~1987年8月までの8ヶ月間に関しては、襲撃事件に参加しなかったつまみ枝豆と井手らっきょとラッシャー板前の3名を「留守番隊」と称して「ガンバルマン」コーナーの中心に据え、不在だったたけし軍団の代役としてダチョウ倶楽部と当時太田プロ所属であった大川興業らが「ガンバルマン」などのコーナーに参加していた。その後、ダチョウ倶楽部らは1987年4月、不起訴が決定して一足先に復帰したたけし軍団と交代で番組から一時離れるが、1991年、ビートきよしと石倉三郎ら初期主要レギュラーが全て降板したことに伴い、今度は正式のレギュラーとして番組に復帰、同時に松村と蛭子も新たにレギュラーとなった。
[編集] アシスタント
スタート当初からの7年間はたけしが一人で司会を務めていたが、1990年に蓮舫が進行役として加入して以降は細部の番組進行を女性アシスタントが担当するようになった。
- 蓮舫(現:民主党参議院議員、1990,4~1992,9)
- 飯島直子(1992,10~1996,9)
- 細川ふみえ(1992,10~1995,9)
- 薮本雅子(日本テレビアナウンサー(当時)、1992,10~1994,9)
- 大神いずみ(日本テレビアナウンサー(当時)、1994,10~1997,6)
- 辺見えみり(1995,10~1999,3)
- 佐藤藍子(1996,10~1997,6)
- 山田まりや(1997,7~1999,3)
[編集] その他
[編集] スタッフ
- 歴代プロデューサー:八田一郎、高橋靖二、渡辺弘、中村英明、藤井淳
- 藤井は『熱湯コマーシャル』で社長賞をもらった。
- 構成:沢口義明、西川晋、河村達樹、だいもん孝之、高梨武志、吉原政幸
- 沢口は上島竜兵&辺見えみりの番組内でのユニット「熱湯兄弟」が歌う『アッチッチサンバ』の作詞を手がけた。
- 渡辺弘が初回(当時ディレクター)から1996年6月(当時チーフプロデューサー)まで携わり、以後も最終回まで彼が築いた路線を引き継いだため、スーパージョッキーは渡辺弘の番組だったと言える。
[編集] 前後番組の移り変わり
日本テレビ系 日曜午後1時枠 | ||
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前番組 | スーパージョッキー | 次番組 |
TVジョッキー | とりあえずイイ感じ。 (関東ローカル枠) |