セザール・サンパイオ
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セザール・サンパイオ、本名カルロス・セザール・サンパイオ・カンポス(Carlos Cézar Sampaio Campos、1968年3月31日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手(MF)。
Jリーグ黎明期を代表するワールドクラスのボランチ。ブラジル代表として1998年FIFAワールドカップ・フランス大会で2得点を挙げた。
なお本人にインタビューよると「セーザル・サンパイオ」というのが本来の読み方に近く、そのため当時所属していた横浜フリューゲルスもその後は「セーザル」と表記するようになったが、一般的には「セザール」で表されているため、表題もそれに倣う。
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[編集] 経歴
1986年にブラジルのクラブチーム・サントスでキャリアをスタート。その後パルメイラスを経て、1995年にジーニョ、エバイールとともに横浜フリューゲルスに移籍。堅実な守備に加えて攻撃力も備えるMFとして日本代表の山口素弘と中盤の底を担い、2人のコンビはJリーグNo.1ダブルボランチと言われた。
また1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会ではブラジル代表としてドゥンガとボランチのコンビを組み、大会の開幕戦となったスコットランド戦では前半4分に同大会最初のゴールをあげるなど3得点の活躍により、決勝進出の原動力となった。
同年の10月29日、横浜フリューゲルスがホームタウンを同じとする横浜マリノスとの合併(実態はクラブ消滅)を発表。そのため1999年元日の天皇杯での優勝を最後に日本を離れた。
ブラジルに戻ったサンパイオはパルメイラスに復帰しコパ・リベルタドーレス制覇に貢献。翌シーズンにはスペインのラ・コルーニャへ移籍した。
2002年、柏レイソルに入団しJリーグ復帰。さらに2003年には当時J2のサンフレッチェ広島へ移り、チームのJ1昇格に貢献した。
2004年シーズンのファーストステージ終了をもって退団。サンパウロFCに移籍し、ここでも活躍するが同年で引退。現在は地元ブラジルで指導者を目指し勉強中。
[編集] 所属クラブ
- サントス(ブラジル) 1986年 - 1991年
- パルメイラス(ブラジル) 1991年 - 1995年
- 横浜フリューゲルス 1995年 - 1998年
- パルメイラス(ブラジル) 1999年 - 2000年
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン) 2000年 - 2001年
- コリンチャンス(ブラジル) 2001年
- 柏レイソル 2002年
- サンフレッチェ広島 2003年 - 2004年6月
- サンパウロFC 2004年8月-12月
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
[編集] Jリーグ年度別成績
[編集] ブラジル代表
[編集] 関連項目
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