タヨウピイェー
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タヨウピイェー(?-1287年、在位1254年-1287年)は、パガン朝の第十一代国王。正式名称はシュリー・トリブワナ・アーディトラ・パワラ・ダンマラージャ。別名シードゥー。
1254年に即位してからは、歴代の王にならって寺院の建立に力を注いだという。しかしこのように歴代の王が政治に関心を示さないようになっていたため、パガン朝は次第に衰退を見せ始めるようになっていた。
このような中、元の皇帝として即位したクビライから、服属するように要求されたが、タヨウピイェーはこれを断固として拒否した。このため、元軍の侵攻を受けることを余儀なくされたのである。文弱傾向にあったパガン軍で精強な元軍に対抗できるはずは無く、1277年にはンガサウジャンの戦いで大敗し、1283年には首都を元軍に占領されて追われるという有様であったという。このため1287年、タヨウピイェーは遂に抵抗を断念し、フビライに降伏したのである。
しかし、タヨウピイェーは降伏して都に帰還することを許された途上で、自身の息子の手によって殺されてしまった。
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