デ・ステイル
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デ・ステイル (De Stijl) とは、テオ・ファン・ドースブルフ(Theo van Doesburg, 1883年 - 1931年)がオランダのライデンで1917年に創刊した雑誌およびそれに基づくグループの名称。「デ・ステイル」とはオランダ語で様式の意味である。「デ・スティル」と表記することもある。
その理念は、グループの重要なメンバーでもあるピエト・モンドリアンが主張した新造形主義(ネオ・プラスティシズム)であった。しかし、リーダーであるドースブルフの考えは、絵画よりもむしろ建築を重視し、1924年には、垂直と水平だけでなく、対角線を導入した要素主義(エレメンタリズム)を主張した。そのため、両者の対立は決定的となり、モンドリアンは、1925年にグループを脱退する。
その後、雑誌は1928年まで刊行され、グループ自体は、ドースブルフの死(1931年)まで続いた。
このグループは、建築や抽象絵画の重視、バウハウスへの大きな影響、ダダと 構成主義の橋渡し、など、国境や美術の分野を越えた活動をおこなったと評価できる。
このグループの他のメンバーとしては、
- ヘリット・リートフェルト(Gerrit Rietveld; 1888年-1964年)
- J・J・P・アウト(J. J. P. Out; 1890年-1963年)
- ジュルジュ・ファントンゲルロー(Georges Vantongerloo; 1886年-1965年)
- フィルモス・フサール(Vilmos Huszár; 1884年-1960年)
- バート・ファン・デル・レック(Bart van der Leck; 1876年-1958年)
- コーネリス・ファン・エーステレン(Cornelis van Eesteren; 1897年-1981年)
- ヤン・ウィルス(Jan Wils; 1891年-1972年)
- ロバート・ファント・ホッフ(Robert van't Hoff; 1887年-1979年)
などがいる。