バレンタイン・ストラッサー
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バレンタイン・ストラッサー(Valentine Esegragbo Melvine Strasser、1967年)とはシエラレオネの元国家最高評議会議長。
1967年生まれの、この若いシエラレオネの軍人は、1992年に27歳の時、彼と同じ若い将校のグループと共に軍事クーデターを起こし、大統領だったジョセフ・サイドゥ・モモとモモ政権の基盤だったAPCを倒しモモから政権を手に入れ、シエラレオネの元首になった。そして国家暫定統治会議(NPRC)が設立された。モモ政権の時、内戦は東部地域だけだと見ていて、公約の議会・大統領選挙は形だけ程度のもので済まそうとしていた。そして、人々も更なる争乱と無秩序を避けようとそれを黙認していた。そのため、スラッサー大佐ら若い将校達はモモ大統領の為政に不満を抱いていた。シエラレオネの人々はこの27歳の若かく新しくシエラレオネの国家元首に就任した元首に、混乱した国を立て直せる事が出来るとして彼に期待し歓迎した。しかし、そうではない事に時間はかからなかった。実権を握ったストラッサーは民政への早期復帰を約束したが、なかなか、果されないまま、シエラレオネ内戦の立役者であるアハメド・フォディ・サンコー率いる統一革命戦線(RUF)による戦闘が激しさを増し、首都フリータウン近くにまで追って来るなど国は更に混乱して行った。1993年ストラッサーはRUFに対し一方的に休戦を宣言したが、RUF側の兵士に大赦を与えた。1992年から1993年の間にストラッサーは国の治安の悪さを自らの権力強化に利用していたが、1995年に政権内部でクーデターが起こり彼は権力を追われ、イギリスに逃げた。