バレンタイン歩兵戦車
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歩兵戦車 Mk.III バレンタイン | |
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性能諸元 | |
全長 | 5.4 m |
車体長 | m |
全幅 | 2.6 m |
全高 | 2.2 m |
重量 | 16〜17 t |
懸架方式 | ヴィッカース・スローモーション方式 |
速度 | 15 km/h(整地) |
8 km/h(不整地) | |
行動距離 | km |
主砲 | Mk.I-VII:2ポンド砲 Mk.VII-X:6ポンド砲 Mk.XI:75mm砲 |
副武装 | MK.I-VII, X, XI:Besa同軸機銃 |
装甲 | mm |
エンジン | 131〜210 馬力 |
乗員 | 3〜4 名 |
歩兵戦車 Mk.III バレンタインは、第二次世界大戦時のイギリスにおいて、もっとも大量に製造された戦車である。コストの安さと信頼性の高さに定評がある。
目次 |
[編集] 歴史と概要
バレンタイン歩兵戦車は、A10巡航戦車を元に開発された。ヴィッカース・アームストロング社が私案として設計し(このため"A"コードは付加されていない)、英陸軍省により1938年2月に承認された。開発チームは、巡航戦車(A10の車台部品が流用された)の重量と歩兵戦車の装甲を組み合わせることを試みたが、これは機構が詰め込まれた小さな車体に、2名搭載の砲塔を搭載するという外観に結びついた。マチルダ戦車よりは装甲が薄く動力も弱く、同程度の速度であったが、低コストで、かつ大量生産に適していた。
陸軍省は当初、砲塔と乗務員コンパートメントの小ささから、この設計を制止した。しかしながら、ヨーロッパ戦線の戦況から、最終的に1939年4月に設計が承認された。1940年5月には試験が開始されたが、この時期はダンケルクの撤退によるイギリス軍装備の損失と重なっていた。試験は成功し、この車輌は「歩兵戦車 Mk.III バレンタイン」としてすぐに量産に移された。
バレンタインという名前が付けられた経緯については、いくつかの説が存在する。もっともポピュラーなものは、陸軍省に設計が提出されたのがバレンタインデー(2月14日)だったというものだが、いくつかのソースは提出日が2月10日だったと主張している。他の説では、A10戦車やその他のヴィッカース製戦車の開発に尽力したジョン・バレンタイン・カーデン卿 Sir John Valentine Carden から取られたというものがある。この他に、Valentine は Vickers-Armstrong Ltd Elswick & Newcastle-upon-Tyne. の頭文字を取ったものだという説がある。
バレンタイン歩兵戦車は1944年4月まで生産され続け、歩兵戦車だけでなく戦車としても、イギリスでもっとも量産されたものとなった。その数は、イギリス国内で6,855輌(ヴィッカース、MCCW (Metropolitan-Cammell Carriage and Wagon), BRC&W (Birmingham Railway Carriage and Wagon) )、カナダ国内で1,420輌である。これらのうち相当数が、主力輸出品として、ソビエト軍にレンドリースの形で輸出された。内訳は、イギリス製の2,394輌とカナダ製の1,388輌(残りの32輌は訓練用に保存)である。
[編集] 戦歴
この戦車の最初の戦歴はクルセーダー作戦である。この作戦が、マチルダI歩兵戦車からの置き換えの契機となった。その後も北アフリカにおける作戦で広く運用され、初期から防御力と信頼性が評価された。
しかしながら、バレンタイン歩兵戦車は、イギリス軍の戦車が共通に抱える弱点も持っていた。搭載している2ポンド砲は、攻撃力、すなわち着弾時における爆発力を欠くうえ、マチルダⅡ歩兵戦車同様榴弾が用意されていなかったため、対戦車砲とともに時代遅れの装備となっていた。小さい砲塔と、同様に小さいターレット・リングは、より威力のある砲への換装を困難にした。このため、6ポンド搭載バージョンや、OQF 75mm砲搭載バージョンが開発されたが、その時までにはより性能の高い戦車が戦場に到着していた。
もう一つの弱点は、小さい乗員コンパートメントと、2人乗りの砲塔である。装填手が搭乗できるようスペースをとったより大きな砲塔は、多数の2ポンド砲搭載バージョンを置き換えたが、砲を大型のものに換装したバージョンでは、再び装填手のスペースが削られた。
1944年のヨーロッパにおける一連の作戦 (European Theater of Operations, ETO) では、前線のバレンタインは完全にチャーチル歩兵戦車、またはアメリカ製のM4中戦車シャーマンに置き換えられていた。太平洋戦線においては、限られた数のバレンタインが1945年5月まで残された。
ソビエト軍の運用では、バレンタインはモスクワの戦い以降、終戦まで使われ続けた。主に南方の戦線において使われたが、これは二つの理由による。一つは、ペルシャ補給線の確保のためであり、もう一つは寒冷地での使用を避けるためである。ここでも速度の遅さと主砲の弱さが弱点となったが、その小さいサイズと信頼性、装甲の強度により好まれた。
[編集] バリエーション
- バレンタイン I
- 350輌が製造されたが、量産における問題があり、前線には送られなかった。このバージョンは砲塔が車台に固定され、AEC製A189ガソリンエンジン(135馬力)を動力とし、2ポンド砲と.303同軸機銃を搭載した。2人搭乗の砲塔では、車長が装填手を兼ねることを強いられた。
- バレンタイン II
- このモデルは700輌が製造された。動力はAEC製A190ディーゼルエンジン(131馬力)となった。航続距離を伸ばすため、エンジン・コンパートメントの左側に外部燃料タンクが増設された。
- バレンタイン III
- 大型砲塔を搭載し、装填手が搭乗できるようにした。これにより、車長が装填を行わなくても済むようになり、負荷が大幅に緩和された。砲塔の大型化による重量増加を軽減するため、側面の装甲が60mmから50mmに減らされた。
- バレンタイン IV
- IIのエンジン換装バージョンで、アメリカGMC製6004ディーゼルエンジンと、アメリカ製の変速機を搭載した。航続距離は短くなったが、エンジン音が静かになり、信頼性が向上した。
- バレンタイン V
- IIIのエンジン換装バージョンで、IV同様に6004エンジンと変速機を搭載したもの。
- バレンタイン VI
- IVのカナダ製バージョン。カナダ製とアメリカ製の部品が大幅に使われている。後期に製造されたものは、装甲傾斜がゆるやかになっている。
- バレンタイン VII
- カナダ製の別バージョンで、VIを基礎に、Besa同軸機銃をブローニング重機関銃に交換したもの。
- バレンタイン VII A
- VIIに投下可能な増設タンク、新しい履帯、防護付きヘッドライトを備えたもの。
- バレンタイン VIII
- IIIを6ポンド砲搭載版にアップグレードしたもの。この搭載のために同軸機銃が廃止され、搭載手のスペースが削られた。さらに側面の装甲が削られた。
- バレンタイン IX
- Vを6ポンド砲搭載版にアップグレードしたもの。VIII同様、装甲が削られている。後期に生産されたものは、GMC製6004の165馬力バージョンが搭載された。
- バレンタイン X
- 新設計の砲塔を備え、165馬力のエンジンを搭載したもの。廃止されていた同軸機銃が再び搭載された。溶接による製造。
- バレンタイン XI
- XをOQF 75mm砲に換装し、GMC製6004の210馬力バージョンを搭載したもの。溶接による製造。指揮車としてのみ使用された。
- バレンタイン DD
- IIIとVIIIを水陸両用 (Duplex Drive) にしたもの。ノルマンディー上陸作戦に使用するシャーマンDDの乗員を訓練するために使用された。
- バレンタイン OP / Command
- 指揮車バージョンとして、ダミーの砲身を付け、無線機を搭載したもの。
- バレンタイン CDL
- CDL は Canal Defense Light の略。砲塔がサーチライトに換装された。
- バレンタイン・スコーピオン
- 地雷除去車。砲塔がなく、フレイル( Flail, 地雷を強制的に爆発させるための回転式チェーン)が取り付けられた。実戦では使用されなかった。
- バレンタイン AMRA Mk Ib
- 地雷除去車。ローラーが取り付けられた。実戦では使用されなかった。
- バレンタイン・スネーク
- 地雷除去車。
- バレンタイン架橋車
- Valentine Bridgelayer. IIの砲塔を撤去し、34'×9.5'(86.3cm×24.1cm)の30枚の渡河板を搭載する。数十輌が生産され、一部はソビエトに供給された。
[編集] 派生型
- アーチャー Archer (自走砲)
- ビショップ Bishop (自走対戦車砲)
- バリアント Valiant (A38戦車)