フェルナンド3世 (カスティーリャ王)
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フェルナンド3世(Fernando III, el Santo, 1201年 - 1252年5月30日)はカスティーリャ王(在位:1217年 - 1252年)、およびレオン王(在位:1230年 - 1252年)。カスティーリャ王アルフォンソ8世(高貴王)の孫に当たる。父はレオン王アルフォンソ9世。母はアルフォンソ8世の娘であるベレンガリア。
1217年、時のカスティーリャ王エンリケ1世が嗣子無くして死去したため、その遠縁に当たるという経緯からカスティーリャ王に即位することとなった。1230年にはレオン王位も継承している。
この頃になるとムワッヒド朝をはじめとするイスラム勢力は衰退の一途をたどっていた。そこでフェルナンド3世は、アラゴン王ハイメ1世と協力してレコンキスタを積極的に推進する。その結果、1236年のイスラム勢力の最大拠点であったコルドバ攻略をはじめ、カディス、ハエン、セビリャなどの諸都市を攻略して勢力を拡大した。さらには、1232年に成立した、イベリア半島における最後のイスラム王朝であったグラナダ王国を服属させるまでに至ったのである。そして、ムワッヒド朝の衰えを見て北アフリカに侵攻しようと企てたが、1252年に遠征途上のセビリャで病死した。
フェルナンド3世のレコンキスタこと領土回復運動は大成功であった。しかし、その急速な勢力拡大に対して、支配体制の基盤は脆弱になったうえ、軍事における多大な戦費における経済破綻、イスラム勢力撤退による産業衰退などの悪影響も発生し、皮肉にもカスティーリャ王国は領土を回復する代わりに、国力を減退させてしまうこととなってしまったのである。
なお、フェルナンド3世はレコンキスタ成功の功績を讃えられて1671年、『聖王』の称号を与えられた。これは、彼の従弟で同じく『聖王』と呼ばれるフランス王ルイ9世と並んで評価されたものである。