ブラックビスケッツ
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ブラックビスケッツ(BLACK BISCUITS)は、日本テレビ系の当時の看板・人気バラエティー番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(1996年4月 - 2002年3月)から誕生した、企画ユニット・音楽グループ。 通称ブラビ。中国語表記は、黑色餅乾。
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[編集] メンバー
[編集] 初期メンバー
- 南々見狂也(ななみきょうや)ことウッチャンナンチャンの南原清隆
- 天山(あまざん)ことキャイ~ンの天野ひろゆき
- ビビアンこと ビビアン・スー
[編集] Bye Byeで参加
- ケディこと ケディ・ティン
[編集] 概要
1997年1月初登場。当初はポケビを潰す為に結成された悪者3人グループであり、ゲームで勝利する事でエンディングで流れるポケビ曲を時間を削るなど意地悪を行っていた。一時はテルとウドの引き抜きに成功し、ポケビを消滅寸前に追い込んだものの、最終的には千秋のポケビ存続への執念の前に敗れ去り、ポケビ消滅計画は脆くも崩れ去った。(尚、この間の視聴者からのブラビへの批判・苦情が次いで投函されたいた)。その後、ポケビグッズに対抗して作ったブラビグッズが高価だったこともあり全く売れず、それをなんとか売る企画を開始すると共に徐々にシフトチェンジ。それと同時に結成したての当時の初代衣装は地味さを強調した黒系のものだったが、2代目の赤を強調した衣装以降は大幅なイメージチェンジをし、それ以降の衣装は明るくなっていった。楽器のポケビに対し、ダンスユニットとしてのブラビをアピールする。途中、「貧乏脱出」の為、南々見の作ったおかしな人形の販売に振り回されたりとおもしろぶりも発揮した。「私、歌ウレナカッタラ台湾人気ナイ、日本女優ハ言葉デキナイ。イクトコナイ!」と言うビビアンの執念も功を奏し大活躍をはたす。
一応、ブラビの目標は「アジア進出」。NHKのアジア歌謡祭に出場したりとアジア進出を「本当に」行った事も。勿論、ライバルポケビとの対決は番組の看板ともなり、毎週の対決が人気を呼んだ。1998年にはポケビとの車対決を制し4月22日にタイミング~Timing~を発売。オリコンおよびCDTVで初登場2位となり、結果約200万枚(出荷枚数)を売り上げるミリオンヒットに。1998年のNHK紅白歌合戦にポケビ、ブラビスペシャルバンドとして(奇跡の和解をとげ)、初出場している。
1999年4月までは南々見(ななみ)、天山(あまざん)、ビビアンの3人で活動していたが、1999年5月にケディが加入し4人ユニットとなった。日本全国、CDの告知、売り上げに飛び回り、ブラビ単独ライブもはたしている。
また、Timingの売れ行きが悪かったら、メンバーがビビアン・スーではなくスージ-・カンに。天山ではなく、当時アニマル悌団であったコアラに。そして、南々見ではなくよゐこの濱口優に変更されるという制約まであった。
[編集] CDデビュー
1997年12月、先輩格のポケットビスケッツに続いて待望のCDデビュー。オリコン初登場順位が25位より下だと即解散というルールだったが、これを見事にクリア(オリコン初登場2位)、1999年5月には更なる上を目指しケディが加入したが、同年10月、シングルの「Byebye」がウリナリ!! 番組内での指定された枚数の売上(発売2ヶ月で売上73万枚(オリコン調べによる「STAMINA」の売上枚数)を上回る)を達成できず、南々見とケディが脱退、ブラックビスケッツとしての活動は終了している。番組的には、自然消滅(解散)の流れを作り、11月以降はビビアンが番組を降り、その後南々見、天山(あまざん)、ケディの3人で南々見組を結成した。そして、最終回のウリナリ祭りにはさすがのブラビも特別の復活をはたしている。「みんな悪い子にしてたかぁ?」と南々見が叫び、ブラビが悪い子であることをアピール、ブラビ魂の健在を示した。
余談ではあるがビビアンはブラビの曲を「一人デハ歌ワナイノ、アレはブラビの曲、イツカ、アニキ達ト歌エルト信じテルカラ。」とコメントしている。ファンも奇跡の復活に熱狂していた。
[編集] ディスコグラフィー
- STAMINA(1997年12月3日)(作曲:林田健司 編曲:大坪直樹)
- オリコン最高位2位、CD推定売上枚数76万3000枚。CD出荷枚数105万枚。
- 台湾版 闘志 (中文訳:黄大軍 辰博)
- Timing(1998年4月22日)(作曲:中西圭三・小西貴雄 編曲:小西貴雄)
- オリコン最高位2位、CD推定売上枚数148万3000枚。CD出荷枚数200万枚。
- 台湾版 時機 (中文訳:VIVIAN HSU & TEAM)
- Relax(1998年10月21日 ※ボーカルは南々見&天山)(作曲・編曲:小森田実)
- オリコン最高位3位、CD推定売上枚数34万7000枚。CD出荷枚数65万枚。
- 台湾版 輕鬆 (中文訳:VIVIAN HSU & 黄大軍 & 謝銘祐)
- Bye Bye(1999年5月26日)(作曲:川上明彦 編曲:大坪直樹)
- オリコン最高位4位、CD推定売上枚数42万9000枚。CD出荷枚数68万枚。
- 台湾版 再見 (中文訳:黄大軍 & 謝銘祐)
作詞は森浩美とブラックビスケッツ、作曲の林田健司と小森田実は、SMAPのシングルも書いている事から、意識的に、そのような路線を志向していたのかも知れない。 台湾版の『STAMINA』は日本より先行発売であり、他のシングルと異なりジャケットも違う物が使われている。コスチュームイメージ、ブラビの当時の悪役としてのイメージを色濃く反映させた黒と赤の強調されたデザインであり、反対に国内版はカラフルなデザインのジャケットであった。
「Timing」は後年、中西圭三がセルフカバーしている。
[編集] アルバム
- LIFE(”待望のファーストアルバム”の触れ込みだったが、一枚のみの永遠のファーストアルバムに終わった。)
- CD出荷枚数60万枚
[編集] ビデオ
- ブラビデオ(スタミナ~タイミング~リラックスの完全振り付け、プロモーションビデオ、未公開映像の詰まったブラビファンの為のビデオだった。が、これ一本で後が続かずに終わっている。)
[編集] 関連項目
[編集] ブラックビスケッツ関連外部リンク
- BLACK BISCUITS「ウリナリ!!」内ブラックビスケッツ公式サイト
- 奇々怪々(ファンサイト)