ヘニング・フォン・トレスコウ
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ヘニング・フォン・トレスコウ(Henning Hermann Robert Karl von Tresckow, 1901年1月10日 - 1944年7月21日)は、ドイツ国防軍少将、プロイセン貴族。ヒトラー暗殺計画の首謀者の一人。
1901年ドイツのマグデブルクに生まれる。1924年に陸軍に入隊。第二次大戦開戦時は第221歩兵師団の参謀長。
1939年から1940年まで彼はA軍集団でゲルト・フォン・ルントシュテットおよびエーリッヒ・フォン・マンシュタインの下で参謀を務め、1943年11月20日からその死まで東部戦線でギュンター・フォン・クルーゲ元帥の首席補佐官を務めた。
彼は始めはナチズムの支持者だったが、次第に反ナチズムに転じ、1938年に反アドルフ・ヒトラー活動に加わった後数回にわたるヒトラー暗殺を計画した。1943年3月13日、ヒトラーが東部戦線視察を行った際に爆殺を企て、副官のファビアン・フォン・シュラーブレンドルフ中尉に爆弾入りのリキュールの瓶を搭乗機に持ち込ませたが、雷管に不具合が生じたため爆発せず失敗、爆弾は密かに回収され計画は明るみに出なかった。彼は自分の従兄弟をマンシュタイン元帥の副官に送り込み、ヒトラー暗殺計画に引き込もうとしたが、マンシュタイン元帥は応じなかった。
1944年7月20日のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐による暗殺が未遂に終わると翌日トレスコウは前線に出て、手榴弾を爆発させ自決した。
カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | 1901年生 | 1944年没