ホンダ・シティ
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シティ(City)は本田技研工業の乗用車。排気量は1200 - 1300ccクラスでボディはハッチバック型。
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[編集] モデル
[編集] 初代(AA型、1981-1986年)
1981年発売開始。「トールボーイ」と呼ばれる当時としてはユニークな背の高いデザインを採用し、人気車種となった。1982年にはターボチャージャー付きの「ターボ」、1983年にはインタークーラーターボ付きの「ターボII」(通称・ブルドック)もラインアップされた。商用バンとしてシティ・プロも発売された。ヨーロッパではHonda Jazzの名で販売された。これは「City」の商標をオペルが持っていたためである。
井上大輔作曲、マッドネス演奏・歌唱の「シティ・イン・シティ(In The City)」に「ホンダホンダホンダホンダ…」の合いの手が入ったCMも有名であった。このCMソングは当時の人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」で加藤茶と志村けんがギャグのネタにしている。
1984年にはハイルーフ仕様のマンハッタンルーフとオープン仕様のカブリオレも追加されている。マンハッタンルーフにはオプションで天井にスピーカーをつけるか、電動サンルーフが選べた。カブリオレについては、ピニンファリーナが手がけたデザインで、岐阜県の東洋工機(現・パジェロ製造) で生産されていた。日常生活にも使用が耐えうる実用的なデザインということもあり、マツダ・ロードスターが発売されるまで、それまでの日本のオープンカーの歴史の中で最も売れた車種となった。また、少量生産の特徴を生かし12色のボディーカラーが用意されていた。
ちなみにモトコンポと呼ばれる、折りたためばシティのトランクにピッタリ入る50ccのバイクが発売されていた。
[編集] 2代目(E-GA型、1986-1994年)
AA型シティの後継機種として投入された。
当時のホンダのMM思想(Man-maximum Mecha-minimum)を受け、軽自動車であるJW型トゥデイのフォルムをベースとし、シビックとの間を埋めるコンパクトカーを作る、という発想の元に開発が進められたモデルとされる。その傍証として初期の開発コードがWXB(XBはJW1トゥデイの開発コード)であったことが挙げられる。
後に開発コードはXCに変更されたが、プロジェクトの発足当時のコード"WXB"そのものに、GA型シティの特徴は凝縮されているとも言える。
JW型トゥデイはその開発段階において大きな壁があった。
というのも、元々JW型の初代トゥデイは、軽自動車枠の乗用車車両販売を再開する際に競合他社より突きつけられたとされる、原動機の制限(三気筒以上のエンジンを使わない)により、絶対的なパワーの不足という足かせをつけられていた。 この足かせに対し、ホンダは車体自体の軽量化と走行時のロスを極限まで減らしてパワー不足を補うという回答を以って応えた。
特に「空気抵抗、特に前方投影面積を起源とする走行時の抵抗を軽減する」方法を模索した結果生み出された形状であるローハイト、ワイドトレッド、ロングホイールベースという形状はパワー不足を補う他に「少燃費性」や軽自動車の域を超える「居住性」「安定性」をも実現し、結果として市場に好感を以って迎えられる事となる。
話は前後するが、そのJW型トゥデイの開発時の「足かせ」に対する回答となるコンセプトが確立した時点で、その有益性に着目し「同じ設計思想を小型車枠でも実現しよう」としたのがGA型らしい。 実際、JW型トゥデイの販売開始時期1985年、GA型シティの販売開始時期が1986年と近接していることを考慮すると「トゥデイが売れたのでGA型シティを開発した」のでは間に合わない。このことから2車種を「並行開発」していたことが容易に推察される。
JW型トゥデイ、GA型シティとも、
- ショートノーズ、ロングデッキ
- ロングホイールベース、ワイドトレッド、ローハイト
- 同車格の他社競合車両に対し極端に軽量な車重
- 空力抵抗に対する具体的な回答となる、ボディ・シルエット
という特徴は同じであり、「コンセプトの共通性」については疑義を差し挟む余地が無いといっても過言ではない。
特に車重に関して述べれば、GA1のベーシックグレードは車両重量は700kgを大きく切るという共通性を持つ。
一方でこのGA型、開発当初はAA型シティ後継モデルとして企画したものではなかった、"「シティ」という名前を冠する筈ではなかった"とも考えられている。
実際、自動車のキャラクター要素として重きをなす外形において、AA型とGA型には同車名を与えるには難があると思わざるを得ないほど、コンセプトに大きな違いがある。
後の1990年代に登場するスズキ・ワゴンRが追求した「居住性向上を高さ方向に積極的に求めるデザイン」を先取りしていた「トールボーイ」というキャッチコピーを与えられたAA型の形状に対し、GA型は「クラウチングフォルム」というキャッチコピーを持つ、ロー&ワイドなデザインであり、共通性が見出せない。
しかし、新車種とした際に発生する販売チャンネルの問題と、AA系シティがモデルチェンジの時期を迎えていたという現実が、初期開発コードWXB、最終開発コードXCを持つ車両にシティの名前を与える原動力になった、との見方が強い。
そしてその名前ゆえ、「シティ=トールボーイ」というイメージを持つAA型のオーナーや市場は大いに戸惑うこととなる。
上記開発、販売までの変遷をたどり、AA型の後継として1986年10月、GA1のシティが発売された。キャッチコピーは「才能のシティ」。
GA1のエンジン構成はシングルキャブ1200cc(D12Aエンジン)1カム(SOHC)16バルブ(1986年当時、このクラスとしては初のメカニズム)のみで、装備品等の違いによって「GG」/「EE」/「BB」の3グレードで商品展開を行った(GA1-100番台)。後述するGA2へのマイナーチェンジ時に、外装はGA2だがエンジンはD12Aという「BE」なるグレードも存在した(GA1-110番台)。これは分類上GA2の外観を持つが型式はGA1である。
GA1発売の2年後、マイナーチェンジによって主力エンジンは1300cc(D13Cエンジン)に変更された(GA2-100番台)。このときに、従来のシングルキャブ仕様に加えインジェクション仕様が追加された。
シングルキャブモデルでは旧GA1の標準グレード「EE」の継続モデル的意味合いが強い「CE」というグレードを設定、最上級であった「GG」に対しては「CG」というグレードが設定された。
また、上位モデルとして発売されたPGM-FIを搭載したモデルは、廉価版の「CR-i」と、トップグレードの「CZ-i」の2グレード構成となった。
中期には販売力強化を目的に、「CE」の装備を充実させたお買い得グレード「CE Fit」、インジェクションモデルでは「CR-i」ベースの限定高級グレードである「CR-i Limited」が投入され、後期には「CZ-i」グレードにマイナーチェンジが施される。
最終的に販売終了時点では、グレードの統廃合により「Fit」(シングルキャブモデルを全て統合)/「CR-i」/「CZ-i」の3グレード構成となる。
二代目であるGA型は、上記の変遷をたどった。だが販売は振るわなかった。
まず大きかったのはホンダ自身がキャラクターグッズも絡め、マーケティングにおいて作り上げた「シティ=トールボーイ」というイメージが大きすぎた、という事。結果として二代目のシティは同一車種として世に認めてもらえず、この事実はいまだに「シティ?あ、あの背の高い車」に代表される回答をもって測ることが出来る。
次に大きかったのは、上記理由により「同一車種」の乗り換え/買い替え需要を喚起できなかった事。
「シティ=トールボーイ」というイメージを持つAA型シティのオーナーたちへのGA2系の訴求力は極めて低く、乗り換えは殆ど発生しなかった。その点で事実上「新車種の販売」でありながら、その認知において先代のAA系シティに足元をすくわれるという事も販売低迷の遠因となる。
結果として、販売不調を理由として1994年に生産中止。シティという名称を持つモデルはこの代で途絶え、GA系車両としては「ロゴ」/「キャパ」が代替ブランドとして発売された。
市場からは拒否されたが、ホンダの思わざるところでシティの才能は花開いた。
元々はパワー不足を補う事を目的とした車両自体の軽量さやトランスミッションのギヤ比、空力の向上が主目的の全高の低さ、絶対的なピークパワーよりも実用域のトルクを重視したエンジンは、フロントオーバーハングの小ささ、重心位置の低さとも相まって卓越した運動性能をもたらし、モータースポーツのベース車両としては非常に成功した。このあたりの遍歴はCR-Xの系譜にも見ることができる。
実際乗ってみると、車内の横方向への広がりは強調されているものの、ボンネットのオーバーハングは短く、感覚的にすぐ足下の路面が見えるような錯覚にとらわれる不思議な乗車感を与えてくれるモデルである。また、非常に高いコーナリング性能のためか、未だに熱烈なファンが存在する。特に、モータースポーツへの参加車両としてこの車両を選んだ競技者で「この車だけは別」として手放さないユーザが多いことも知られている。
余談ではあるが、この頃のホンダ車全体によく言われている『紙のボディ』であるので、あまり激しい走行を続けるとボディが痛み、あるシティはジムカーナでサイドターンをした所、ボディが歪み、リヤゲートが勝手に開いたという報告もある。この現象は多々見聞され、ボディ剛性は弱いと言える。
[編集] その後
現在、シティの名はフィットアリアの東南アジアでの商品名として残るのみとなっている。
[編集] モータースポーツ
初代はワンメイクレースが開催されていたが、重心の高さから転倒する車両が相次いだ。
シティの2代目後期モデル(GA2型)はエンジン性能こそ平凡だが軽量なボディと低い重心を活かしてジムカーナ、ダートトライアルなどの競技、圧倒的な省燃費性とコーナリングスピードを活かした長時間耐久競技、コーナースピードと脱出加速能力がものを言うミニサーキットでのサーキット走行では現在に至るまで侮れない存在である。
特にジムカーナでは2003年にレギュレーションが変更されるまでのA1クラス(無改造1400cc以下)ではこの車でなければ勝てなかったと言われている。