モーリー
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MORRIE(モーリー、本名・大塚基之、1964年(昭和39年)3月4日 - )は兵庫県出身の歌手。
[編集] 経歴
小学6年生のときに聞いたイギリスのバンドQUEENの‘Killer Queen’に影響を受けて音楽にのめり込み、13歳の時にテレビで見た過激なガールズ・ロックバンドThe Runaways に刺激を受けてロックに目覚める。初のコピー曲は、EAGLESの‘Hotel California’で、フォークギターで演奏。
高校3年生の時、ヴォーカルを探していた友人のバンドTHE WILD(主にQUEENやPOLICEのコピー演奏をしていた)に参加し、ステージデビューをする。初めての曲はPOLICEの‘Message In A Bottle’であった。
1984年にLIARで同じメンバーだったTAKAHIRO(香川孝博)(Gt)と元RAJASのCRAZY COOL JOE(B)を中心にHM/HRバンドDEAD ENDを旗揚げ、インディーズ界に旋風を巻き起こし数々の記録を打ち立てる。
1987年には、鳴り物入りでメジャーデビューし、通算2枚目となるメジャー初アルバム“GHOST OF ROMANCE”はオリコンチャート14位に付けた。
3rdアルバムのタイトルとなっている“shambara(シャンバラ)”はMORRIEが作った造語のようで、「相反する2つのものが隣り合わせになっている様子を表現したもの」という意味らしいが、実際には中国に土地として存在し、仏教の用語でも既存している。当時MORRIEは、その事を知らなかったらしく 偶然に、このアルバムタイトルが付けられたようである。
この頃は、怪奇小説作家ラヴクラフトの作品に大きく影響を受けたようで、2nd・3rdアルバムの多くはホラー色の濃い退廃的な詞で構成されている。
その後の4thアルバムでは一転して、神や天使世界を表現した詞が綴られ(しかしながら、その詞に潜んだ得体の知れない内面的な怖さは健在)、曲やバンドスタイルもそれに伴うように変わり、ハードさは影を潜め、よりポップ性の強いバンドへと様変わりした。
この新たな方向性のアルバムとバンドスタイルの変化は、当然の事ながらファンからの賛否両論があった。
1990年1月20日のライヴでドラマー湊雅史が脱退。、バンドは休止に追い込まれ、事実上の解散となる。同年11月に正式解散。
DEAD END解散後は、以前より行っていたソロプロジェクトを本格始動させ、精力的にライヴを活動を行う。
DEAD END解散後もメンバーとの交流はあるようで、湊雅史のライブに顔を出すことがある。
- 1990年1月 - 1stソロアルバム「ignorance」リリース。
- 1992年4月 - 2ndアルバム「ロマンティックな、余りにロマンティックな」リリース。
- 1993年 - 渡米。
- 1995年1月 - 3rdアルバム「影の饗宴」リリース。
ドイツ人ミュージシャンの妻と共にニューヨークに在住。アメリカの永住権を取得。
3rdアルバム以後のリリースは無く、活動休止状態が続いている。 そんな中でも根強いMORRIEファンは止まることなく、活動時期の頃は、まだ幼く恐らく知らないであろう10 - 20代のファンも増えている。そのファンらの後押しもあって、DEAD END時代のアルバムが再リリース、ベスト盤も作られている。
2005年4月20日にMORRIEのソロアルバム・ベスト『Ectoplasm』(BMGジャパン)が発売を予定している[1]。
2005年、Minoru(SPIN ex.THE MAD CAPSULE MARKETS、DIE IN CRIES) 、Tetsu(L'Arc~en~Ciel) とCreature Creatureを結成。