リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)
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ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(Richard Neville, 1400年 - 1460年12月31日)は、薔薇戦争初期のヨーク派のリーダー。
初代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルと2番目の妻ジョウン・ボーフォート(ジョン・オブ・ゴーントの娘)の子供として生まれた。兄弟としては下の方だったにも関わらず、恐らく王室の血を引く母方の家系のおかげで、1420年にトマス・モンターギュ(第4代ソールズベリー伯)の一人娘アリス・モンターギュという素晴らしい相手との結婚ができた。
結婚の後、ソールズベリーは1420年から1435年のスコットランド攻勢でワーデンを含む北イングランドで重要なポストを与えられた。また、1422年に従弟のヘンリー6世の戴冠式の際には、警備責任者も務めた。
しかし彼は1455年、大法官にしてもらった恩からヨーク公リチャードに鞍替えした。ヘンリー6世が独立を宣言したヨーク公を護民官の地位から外そうとした時、彼はヨーク公の行動を「自衛的措置」として、セント・オールバーンズの戦いでもヨーク公に合流している。ブロア・ヒースの戦いで大勝した後、ソールズベリーはラドフォード橋の戦いに大敗、王室の恩赦からも除外されて、カレーに逃げた。彼は1460年のウェイクフィールドの戦いの翌日、ヨーク公とともに首を切られた。
彼は10人の子供の父親でもある。
- シシリー・ネヴィル (1424年 - 1450年)
- ヘンリー・ドゥ・ボーシャン(ウォリック公)と結婚した。
- リチャード・ネヴィル(ウォリック伯) (1428年 - 1471年)
- ジョン・ネヴィル(モンターギュ侯) (1431年 - 1471年)
- ジョージ・ネヴィル (1432年 - 1476年)
- ヨークの大司教とイングランドの大法官になった。
- ジョウン・ネヴィル (1434年 - 1462年)
- ウィリアム・フィッツアラン(アランデル伯)と結婚した。
- キャサリン・ネヴィル (1442年 - 1503年)
- 最初ウィリアム・ボンビル(ハリントン卿)と、次にウィリアム・ヘイスティングス(ヘイスティングス男爵)と結婚した。
- トーマス・ネヴィル (1443年 - 1460年)
- 1449年に騎士に叙されて、そしてウェイクフィールドの戦いで戦死した。
- エレノア・ネヴィル (1447年 - 1482年)
- トマス・スタンリー(ダービー伯)と結婚した。
- アリス・ネヴィル (1460年 - 1503年)
- マーガレット・ネヴィル (c1460年 - 1506年)
- オックスフォード伯ジョン・ドゥ・ビアーと結婚した。
先代: ジョン・ケンプ |
大法官 1454 - 1455 |
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先代: トマス・モンターギュ |
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次代: リチャード・ネヴィル |