リーガル天才・秀才
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リーガル天才・秀才(りーがるてんさい しゅうさい)は戦後にかけて活躍した日本の漫才コンビ。
1952年コンビ結成。1970年代に放送業界の扱いを不満としてテレビ・ラジオに出演拒否を宣言。
1988年、第43回 文化庁芸術祭賞、1991年、紫綬褒章受章。
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[編集] メンバー
リーガル天才(リーガル てんさい、1924年2月26日 - 2004年12月22日)神奈川県出身、本名:曽我 忠一(そが ちゅういち)
浅草軽演劇の出身で1943年に「笑いの王国」で初舞台。 パーキンソン症候群の病に犯される。漫才協会(当時:漫才協団会長)会長だったが病の悪化に伴い内海桂子に譲っている。
リーガル秀才(リーガル しゅうさい、1926年10月29日 - )東京都出身、本名:高橋 章(たかはし あきら)
[編集] 弟子
- 春日三球・照代(栗友一休・三休)
- ケーシー高峰(リーガル天才の弟子でその後はコロムビア・トップ・ライトの青空一門に入門)
[編集] 出典
[編集] 関連項目
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