ルイス・カブラル
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ルイス・デ・アルメイダ・カブラル(Luís de Almeida Cabral、1931年4月10日生)はギニアビサウ共和国の初代大統領。独立宣言のあった1973年から、軍事クーデターによって失脚させられる1980年までの間、大統領の座についた。
1960年代初頭、ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)は、ポルトガル政権に対する反植民地主義戦争を始めた。1973年に、パン・アフリカ主義の知識人でPAIGCの創設者として知られるアミルカル・カブラルがギニア共和国のコナクリにて暗殺された後、ルイス・カブラルがリーダーシップを発揮し始めた。当時、ギニアビサウ(当時のポルトガル領ギニア)およびカーボベルデ両国の独立戦争を展開していたPAIGCのリーダーシップはアリスチデス・ペレイラ(後のカーボベルデ共和国初代大統領)に移ることになるが、党のギニアビサウ支部はルイス・カブラルを支持した。
ギニアビサウは1973年に独立宣言をし、国連加盟国の社会主義国及び非同盟諸国の大半によって既に承認されていたが、1974年4月のポルトガルのカーネーション革命につづいて、同年9月10日にギニアビサウ共和国の独立が正式に承認された。ルイス・カブラルが初代大統領となり、ソ連、中国だけではなく北欧諸国の支援をも得て、社会主義路線の国家建設が始まった。しかし、アミカルの死、そして独立後に党内部にある種の疑惑が広がり始め、一部の党員がルイスおよび党の多数派を占めるカーボベルデ系の党員を告発した。そして1980年終わりに当時の首相であり、元軍指揮官のジョアン・ヴィエイラが軍事クーデターによって、ルイスの追放を企てた。
ルイス・カブラルは逮捕され13ヶ月間拘束された後国外追放され、彼の受入を承認したキューバに亡命した。1984年にポルトガル政府が家族とともに滞在することを許可し、現在ポルトガルに居住中。ルイスは1999年に、ジョアン・ヴィエイラ自身が失脚したのちに約20年ぶりに祖国を訪問した。
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