レオ・オーンスタイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
レオ・オーンスタイン(またはオルンスタイン、オーンステインとも。Leo Ornsten, 1892年/1893年12月2日 ロシア領クレメンチュク - 2002年2月24日)はアメリカ合衆国のピアニスト・作曲家。ウクライナにおいてユダヤ人の家庭に生まれる。アメリカにおいては演奏家や作曲家として、20世紀ヨーロッパ音楽の流れを汲む緻密な書法の前衛音楽・実験音楽を追究した。40代で演奏界から退いたものの、終生にわたって旺盛な創作活動を続けた。主要作品のいくつかの楽譜は、Leo Ornstein 公式ホームページからダウンロードできるようになっている。ちなみに日本ではレオ・オルンスタインという呼称が定着しており、ロシア語ではレフ・オルンシテーイン(Лев Орнштейн)となる。
[編集] 生涯
伝えられるところによると、8歳までにピアノ演奏に習熟し、弱冠10歳でサンクトペテルブルク音楽院に進学を許されるほどの神童であったという。家族に連れられ1907年に渡米し、ニューヨークの芸術音楽学院(ジュリアード音楽学校の前身)に編入。1911年にピアニストとして異例のニューヨーク・デビューを果たし、それからの2年間は、急進的な自作の演奏に加えて、当時としては尖鋭的な、ドビュッシー、スクリャービン、シェーンベルク、ラヴェル、コダーイ、バルトーク、ストラヴィンスキーらの作品のアメリカ初演を敢行した。
1913年から1920年代半ばまで、おおかた演奏活動からは手を引いたが、アメリカ楽壇では割合よく知られた(いくつかの見方からすると、悪名高い)存在となった。ピアノ曲《未開人の踊り Danse Sauvage》(1913年~1914年ごろ?)や《ヴァイオリン・ソナタ第1番》(しばしば誤って1913年といわれるが、正しくは1915年)のような作品は、トーン・クラスターの徹底的な利用に先鞭をつけた作品である(しかしながらオーンスタインより5歳年下のヘンリー・カウエルの作風がむしろ知名度が高い)。
音楽評論家のジェームズ・ハネカーは、「まさか自分が生きているうちに、アーノルト・シェーンベルクが大人しく聞こえるようになろうとは――。だがそのように、ほとんど弱気でたどたどしく聞こえるのも、オーンスタイン――うんと大げさに言えば、冷血の、生粋の未来主義の作曲家――が生れ出たからこそである。」(時にオーンスタインは、カウエルとそのサークルらとともに、「未来主義者」だけでなく、「ウルトラモダニスト」というレッテルも貼られた。)
オーンスタインが、トーン・クラスターを含んだ最も有名な作品《飛行機の中での自殺 Suicide in an Airplane》をいつ作曲したのかは定かでなく、おそらく1918年か1919年とされている。1927年には、不協和音と複雑なリズム構成が冒険的に駆使された、画期的な《ピアノ五重奏曲》を作曲した。これはオーンスタインの室内楽曲の傑作である。オーンスタインはレコードを残さなかったが、その力量は、誰からも世界的水準にあると認められている。アンピコ社製ピアノロールへの数々の録音は保存されている。
[編集] 後生
1930年代初頭に最後の公開演奏を行う。その頃にには、同じくピアニストのポーリーン夫人(旧姓マレット・プロヴォスト Pauline Mallet-Provost)とともに、オーンスタイン音楽学校をフィラデルフィアに開校した。オーンスタイン夫妻は、1958年に教育界から引退して閉校するまでの間、学校の運営と教育活動に勤しんだ。1970年代半ばになると、オーンスタイン夫妻は公衆の視界に入らなくなってしまう。そのころ音楽学者のヴィヴィアン・パーリスがオーンスタイン夫妻を捜し出し、冬にテキサスの移動住宅駐車場で過ごしていることが確認された(夫妻はニューハンプシャー州に自宅を構えていた)[1]。オーンスタインは、決して作曲活動を止めたわけではなかったが、それまで数十年来作品を出版することには無頓着だった。
1990年には98歳で「ピアノ・ソナタ第8番」が完成され、その世界初演も行われた。各楽章には、以下の題名が付されている。
- 第1楽章「日常の大混乱とささやかな諷刺」 "Life's Turmoil and a Few Bits of Satire"
- 第2楽章「アッティカ旅行~過ぎ去りし子供時代に一粒かそこらの涙」 "A Trip to the Attic — A Tear or Two for a Childhood Forever Gone"
- a. 「軍隊ラッパ吹き」 "The Bugler"
- b. 「迷子の哀歌」 "A Lament for a Lost Boy"
- c. 「出来損ないの子守歌」 "A Half-Mutilated Cradle—Berceuse"
- d. 「初めての回転木馬とハーディガーディの音」 "First Carousel Ride and Sounds of a Hurdy-Gurdy")
- 第3楽章「秩序と即興」 "Disciplines and Improvisations"
これらは、ある目に付きやすい時期の経過だけでなく、オーンスタインの相変わらずのユーモアセンスや説明好きを映し出している。
2002年の晩冬に、ウィスコンシン州の老人ホームで他界。享年109。クラシック音楽の作曲家では、ポール・ル・フレムやシベリウスらと並ぶ長寿であった。作曲は亡くなった年まで続けられていた。
現在は公式サイトにて、彼の作品のほとんどをフリーPDF公開している。
[編集] 参考書籍・関連リンクなど
※参考書籍や音源紹介については英語版を参照せよ。