ロベルト・カルヴィ
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ロベルト・カルヴィ(Roberto Calvi, 1920年4月13日 - 1982年6月17日)は、イタリアの銀行家。バチカンの資金管理を行う銀行であったアンブロシアーノ銀行の頭取であったことから、教皇の銀行家と呼ばれている。同行の破綻直後に不可解な状況下で暗殺された。
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[編集] カルヴィ暗殺事件
[編集] 首吊り死体発見
1982年5月にヴァチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の資金管理を行うイタリアのアンブロシアーノ銀行が、およそ10-15億ドルに上ると言われる使途不明金を抱え破綻した。その直後、1975年以降同行の頭取を務め、破綻直前に国外逃亡したカルヴィが、同年の6月17日にイギリスの首都・ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で首吊り死体で発見され、当事者のヴァチカンとイタリア政府のみならず、全世界を揺るがす大事件となった。
死体が発見された当時は単なる自殺であるということで片付けられたものの、発見された場所が自ら首を吊ったとするには無理がある状況であったり、なぜかカルヴィの衣服のポケットに別の場所で入れられたと見られる小石やレンガが入っていたりと、死体の状況が単なる自殺にしては不可解なため、その後スコットランド・ヤード(ロンドン市警)が再捜査を開始し、1992年に他殺と判断された。また、イタリア警察当局も2003年7月にカルヴィの遺族の依頼により遺体を掘り起こし再鑑定した結果、他殺されたとの判断を下している。
[編集] 相次ぐ関係者の死
また、1979年には、ヴァチカン銀行とアンブロシアーノ銀行の関係と、その投資内容を調査していたイタリア警察の金融犯罪担当調査官のジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃撃され暗殺されている他、1982年6月にはアンブロシアーノ銀行頭取の秘書を勤めていたグラツィエラ・コロケルも投身自殺したとされる。その後1986年3月21日には、同調査官の暗殺をマフィアに依頼したとして逮捕・投獄されていたヴァチカン銀行の財政顧問で、カルヴィが所属していたといわれている秘密結社・フリーメイソンの「ロッジP2」の有力メンバーの投資銀行家・ミケーレ・シンドーナがイタリアの刑務所内で服毒自殺したが、他殺が疑われているなど、両行にまつわる不可解な暗殺事件が多発している。
[編集] 未解明
カルヴィ暗殺事件には、ヴァチカンやイタリア政財界、ユダヤ系金融家で大富豪のジェームズ・ゴールドスミスのみならず、マフィアなどの犯罪組織やカルヴィが所属したと言われている「ロッジP2」、果ては事件当時のローマ教皇であったヨハネ・パウロ2世の出身国ポーランドの反体制組織「連帯」を資金援助していたCIAに至るまで様々な組織の関与が噂されたが、実際の事件の解明は行われないままとなっている。
その後、2005年4月18日にイタリアの司法当局は、マフィアの大物ドンであるジュセッペ・「ピッポ」・カロや、カルヴィの知人で、カルヴィが死亡する直前に会っていたことが複数の証人によって確認されている実業家のフラビオ・カルボーニら4人をカルヴィに対する殺人罪などで起訴したが、この逮捕もいわゆる「ガス抜き」であり、真相の解明には繋がらないと見られている。なお、彼らが起訴された日は、事件当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の死去に伴い、新教皇を選出するためのヴァチカンの枢機卿たちによる非公開の会議「コンクラーヴェ」が開始された日でもあったため、大きな波紋を呼んだ。
[編集] ゴッドファーザーPART III
1989年に公開されたアメリカ映画、ゴッドファーザーPART IIIでは、この事件とヨハネ・パウロ1世の教皇就任直後の突然死がヴァチカンとマフィアの癒着を象徴するプロットとして使用された(カルヴィは、スイスのユダヤ系銀行家の「フレデリック・カインジック」という役名になっている)。しかしながら、一種のタブーである2つの事件の関係を堂々と扱ったことが影響したためか、同作はアカデミー賞にかろうじてノミネートはされたものの、最終的に1部門も賞を得ることは出来なかった。