ヴェルナー・メルダース
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ヴェルナー・メルダース(Werner Mölders, 1913年3月18日-1941年11月22日)はスペイン内戦、第二次世界大戦で活躍したドイツ空軍のエース・パイロット。最終階級は大佐。ダイヤモンド剣柏葉付騎士鉄十字章受章。115機撃墜。
1931年にドイツ陸軍へ入隊。1935年にドイツ空軍が設立されると転科を志願したが、最初は飛行機酔いのため飛行任務には適さないと診断された。スペイン内戦ではコンドル軍団へ志願し、アドルフ・ガーラントから第88戦闘飛行隊第3中隊長を引き継いで、新型戦闘機メッサーシュミットBf109の高速性能を生かしたロッテ戦法を編み出した。そしてメルダース自身は14機を撃墜し、コンドル軍団のトップ・エースとなった。
1939年9月の第二次世界大戦開戦時には大尉の第53戦闘航空団第1飛行隊第1中隊長(1./JG53)で、翌10月に同航空団第III飛行隊長(III./JG53)となり、1940年3月にドイツ空軍で最初に20機撃墜を達成して騎士鉄十字章を授賞した。同年6月5日、フランス軍戦闘機に撃墜され捕虜となったが、2週間後にフランスが降伏して釈放された。ドイツへ帰還すると少佐に昇進して第51戦闘航空団司令となり、バトル・オブ・ブリテンに参加。アドルフ・ガーラント、ヘルムート・ヴィックとトップ・エースの座を争った。この競争では1940年11月6日にトップとなったヴィック(56機撃墜)が同月28日に戦死、ガーラントは西部戦線に留まったのに対し、メルダースは独ソ戦開戦で東部戦線に転じ、一気にスコアを伸ばした。メルダースは1941年7月15日には101機撃墜と史上初の100機撃墜を果たし、全軍初の宝剣付柏葉騎士鉄十字章を授章した。
国民的英雄の戦死を恐れた上層部は、メルダースを大佐に昇進させて戦闘機総監に任命した。しかし第一次世界大戦で62機を撃墜した空軍技術局長エルンスト・ウーデットが自殺して、その国葬に参列するため本国へ向かうメルダースの乗ったハインケルHe111が1941年11月22日、悪天候のためドイツ東部のブレスラウ付近で墜落、事故死した。その名は第二次世界大戦におけるJG51、戦後のドイツ連邦軍の第74戦闘航空団(JG74)に継承されたが、後者はコンドル軍団に志願したことを理由に2005年に取り消された。
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