一龍斎貞山
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一龍斎 貞山(いちりゅうさい ていざん)は、講釈師の名跡。
[編集] 五代目
本名:青山 獄次郎、(昭和10)1935年1月没。享年72。
後に三代目錦城斎典山を襲名。
[編集] 六代目
本名:桝井 長四郎(ますい ちょうしろう)、東京生れ。(明治9)1876年11月 - (昭和20)1945年3月10日。
- 1876年11月、東京銀座の袋物商の家に生まれる。
- 11歳の時に四代目一龍斎貞山に入門し一龍斎貞花を名乗る。
- 師が没し、五代目一龍斎貞山門へ移る。
- 21歳の時に三代目一龍斎貞丈を襲名。
- 1907年六代目一龍斎貞山を襲名。
大正から昭和初期に、三代目神田伯山、二代目大島伯鶴と共に売り出し確固たる地位を築き、ラジオ放送の出演回数もトップクラスだった。
多様な演目を持っていたが中でも「義士伝」はお家芸であった。
[編集] 七代目
本名:佐藤 貞之助(さとう ていのすけ)、東京生まれ。(明治40)1907年6月 - (昭和41)1966年12月7日。
- 1907年6月、東京深川に生まれる。
- 1922年3月、六代目一龍斎貞山に入門し、本名から一龍斎貞之助を名乗る。
- 1931年3月、一龍斎貞鏡と改名し真打昇進。
- 1947年3月、七代目一龍斎貞山を襲名。
怪談物を得意とし「お化けの貞山」の異名を取った。 落語家の古今亭志ん生の芸を、その無名時代から高く評価し、何かと援助した事でも知られる。