世耕弘一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世耕弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)。従三位勲一等瑞宝章。
[編集] 来歴・人物
和歌山県東牟婁郡敷屋村(熊野川町をへて現在は新宮市)に中農 世耕佐七の五男として生まれる。一旦は材木店に丁稚奉公をするが、その後苦学して、日本大学法学部に入学。日大の政治経済海外研究員としてベルリン大学に5年間留学。帰国後の1931年に日本大学教授。1944年に日大と関係の深い大阪専門学校の校長と大阪理工科大学長に就任。学制改革に伴い、大阪専門学校と大阪理工科大学が合併し近畿大学となると初代の総長及び理事長に就任した。
また、1932年に故郷の和歌山県から第18回衆議院議員総選挙に立候補し当選、その後23年間にわたって衆議院議員を務めた。戦前は立憲政友会に所属し、戦後は自由党の結成に参加した。1947年3月の衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。隠退物資事件を暴露する。この軍需品払下問題にからむ大規模な詐欺横領事件は経済問題から保守政党の党費にからむ政治問題になった。
第2次岸内閣で経済企画庁長官を務めた。また、鈴木善幸内閣改造内閣で自治大臣を務めた世耕政隆(近畿大学2代目総長・理事長)は弘一の長男、現理事長の世耕弘昭は弘一の次男である。現在参議院議員である世耕弘成は孫(弘昭の長男、政隆の甥)にあたる。