中国銀行
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中國銀行(ちゅうごくぎんこう、中国語:中国银行(Zhongguo Yinhang)、英語Bank of China)は北京に本店を置く中華人民共和国第2の商業銀行である。総資産は3.8兆人民元に登り、2003年には世界第15位にランクされている。日本には東京都・横浜市・大阪市に支店がある。
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[編集] 概要
国内支店数は13,000に登り、25カ国に550の事務所を展開する。中国の国有銀行は膨大な不良債権を抱えるが、海外での株式上場によって資金調達を行い危機を乗り越える戦略とされる。すでに国有銀行から株式会社組織への移行を終えており、2006年6月、香港市場に上場した。
[編集] 沿革
1912年2月孫文の認可によって設立され、1928年まで中華民国の中央銀行であったが、その後私有化され、政府特許の国際兌換銀行となった。1949年に共産党政権が成立すると国有化されて本社管理部門は上海から北京に移り、中国人民銀行の管理下で唯一の外国為替専門銀行となった。1979年に組織的には中国人民銀行の管理を離れ、国務院の直属となる。
さらに改革開放政策の進展により1994年には外為専門銀行から国有商業銀行に改められ、中国工商銀行、中国農業銀行、中国建設銀行とともに四大商業銀行となった。またこの年以降、中国銀行香港分行は香港とマカオでも発券業務を行うようになった。2001年に中国銀行香港分行は別法人となり、香港証券取引所に上場を果たした。 2004年には中国銀行本体も国有銀行から有限公司組織(中国银行股份有限公司)となった。
2008年開催予定の北京オリンピックのローカルスポンサー(公式パートナー)となっている。
[編集] 香港・台湾での業務運営
[編集] 台湾
中華民国は中華人民共和国による中國銀行の接収を認めていないため、前述の経緯を完全に無視し、台湾において、交通銀行・土地銀行・中国農民銀行などとともに「動乱によって一時休止していた営業を再開」している。台湾において「営業を再開」した中國銀行は中華民国の国法の観点からは孫文によって設立された中国銀行と完全に同一のものであり、その法的地位と名称、そして国営の外国為替専門銀行という経営形態を継承するものであったが、経営資源の観点からは大陸時代の中国銀行から継承したものはほとんどまったく存在せず、実態としては単なる新設銀行であった。台湾において営業を再開した中國銀行は、中国当局からの圧力や、国際市場における無用の混乱のため、後に中国国際商業銀行(ICBC:International Commercial Bank of China)と改称し、中國銀行の継承銀行としての立場も事実上放棄している。2006年8月21日、兆豐國際商業銀行(Mega International Commercial Bank)に改称。
[編集] 香港
1990年代に香港では中国銀行香港分行を中心として中国銀行集団が成立した。構成は次の通り。
- 中国銀行香港支店
- 中国国内銀行7行の香港分行
- 広東省銀行
- 新華銀行
- 中南銀行
- 金城銀行
- 国華商業銀行
- 浙江興業銀行
- 塩業銀行
- 香港登記銀行
- 華僑商業銀行
- 宝生銀行
- 南洋商業銀行 (一部分行のみ)
[編集] 備考
1990年に日本に進出する際、岡山市に本店を置く同名の地方銀行とのからみが問題となった。当時のロゴが毛筆体の「中國銀行」でそっくりだったため、混同が生じる恐れがあった。結果、地方銀行のほうが「中国銀行」に行名を変更し、ロゴも一新された。そして東京都と大阪市の支店については識別のため看板に「本店 岡山市」の文字を入れた。