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中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )は、日本のプロサッカー選手。
Jリーグディビジョン1・京都パープルサンガ所属。ポジションはミッドフィールダー。
[編集] 略歴
- 身長/体重 177cm/70kg
- 出身 鹿児島県
- 出身校 鹿児島城西高等学校
- 血液型 O型
- 利き足 右
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J・J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2004年 |
京都 |
J2 |
15 |
- |
19 |
3 |
|
|
|
|
2005年 |
京都 |
J2 |
15 |
- |
2 |
0 |
|
|
|
|
2006年 |
京都 |
J1 |
15 |
|
|
- |
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通算 |
0 |
0 |
21 |
3 |
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[編集] 記録
[編集] プレースタイル
- キラーパスやミドルシュートに定評のある司令塔。2004年は新人ながらも3ゴールをあげる。しかし2年目はユース代表の遠征中に怪我をして更にワールドユースの代表に漏れその直後に全治2ヶ月の重傷を負いシーズンの半分以上を棒に振ってしまった。3年目の今季はアピールし出場機会を増やすことが北京オリンピックへの近道かと思われる。
- 攻撃には定評があるが守備が課題。当時U-20監督の大熊清は攻撃に関しての評価は高かったが彼をスタメンで起用すると後ろの選手に負担がかかると嘆いていた。また、司令塔というポジションのせいかよくボールを失いカウンターにつながって失点という事もよくある。今後の課題としては守備、ボールキープ力があげられる。
- 2004年シーズン途中に柱谷幸一監督が就任してからは4バックを採用することが多くなりスタメンでの起用は少なくなっている。また最近ではボランチに挑戦している。2006年途中に美濃部直彦監督が就任してからは再び司令塔のポジションを勤めている。
- 未来のサンガの司令塔として、松井大輔以上の活躍が期待される。