中島みゆき
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中島 みゆき (なかじま みゆき、本名・中島美雪、1952年2月23日 - ) は、札幌市出身のシンガーソングライター、パーソナリティ。1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。失恋歌とラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで1980年代前半に大きな人気を博し、現在も根強い支持を受け続けている、日本を代表する女性シンガーソングライターの一人。
オリコンで4つの年代に渡ってシングルチャート1位を獲得した(1970年代:わかれうた、1980年代:悪女、1990年代:空と君のあいだに、旅人のうた 2000年代:地上の星)唯一のソロ・アーティストでもある。ヤマハ音楽振興会所属。
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[編集] 経歴
[編集] 幼年期 - デビュー前
祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市、父・眞一郎は産婦人科医。札幌市に生まれ、5歳のときに岩内に引っ越し、小学6年生までを岩内で過ごす。その後帯広に移り帯広第三中学校に入学。1966年の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせて山形市に移り市立第六中学校に通うが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。その後、帯広柏葉高校を経て、藤女子大学文学部国文学科を卒業。
帯広柏葉高校3年生の時、文化祭で初めてステージを踏む。この時歌ったオリジナル曲は、「鶫の唄」である。大学時代は、放送研究会に所属し、ローカルラジオ局でスタッフのバイトなどをする一方、北大フォークソングのメンバーとも交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。1972年には、「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞している。(なお、この時の音源は大会実況版としてLP化されている。)なお後年、本人はコンテストに出場したのは(交通費や弁当代が支給されるので)、バイト代わりであったと述べている。大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝う傍ら、アマチュア活動を続ける。喫茶ジャズオーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏み、デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得していた。(デビュー以前、オリジナル曲は既に100曲以上存在していた。)
[編集] デビュー - 1970年代後半
1975年5月、財団法人ヤマハ音楽振興会の主催による第9回ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン、現在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に「傷ついた翼」が入賞。同年9月には『アザミ嬢のララバイ』でキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)から晴れてレコード・デビューを果たす。そして、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストに「傷ついた翼」から急遽差し替えた「時代」によってグランプリを受賞。つづけて11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞した。(「時代」は同年12月にセカンド・シングルとして発売)これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックの川上源一に見出される。その後彼女は川上を現在に至るまで師父のように仰ぎ、今もヤマハ音楽振興会に所属している。ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、彼女はヤマハをそのまま自分の拠点としている数少ないミュージシャンである。
1976年5月、ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表。その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。同年には研ナオコに提供したシングル『あばよ』が大ヒットし、ソングライターとしての名を世間に知らしめる。翌年には歌手としても『わかれうた』が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。職業作曲家としても、先述の研ナオコに提供した「かもめはかもめ」をはじめ、桜田淳子「しあわせ芝居」、増田けい子「すずめ」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めた。
歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表の4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』には「世情」という楽曲が収められている。この作品は後年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲のひとつとなっている。なお、『愛していると云ってくれ』以降、1985年発表のアルバム『miss M.』までの10枚のスタジオ録音アルバムは連続でオリコンのアルバムチャートで1位を獲得している。
[編集] 1980年代
1979年、ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部)がスタートし、番組においての軽妙な語り口がリスナーのあいだで大きな人気を集めた。1980年代前半にはミュージシャンとして更に大きな人気を集めており、1981年のシングル『悪女』はオリコンのシングルチャートで彼女にとって2度目の1位を獲得し、翌1982年の年間チャートでも6位を記録、また、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達した。
しかしながら、それ以降アルバム・セールスは下降線を辿り、1980年代中期から後期にかけてはサウンド・アプローチや作風そのものについてもひたすら模索する時代が続いた。当時中島は、甲斐バンドの甲斐よしひろやクリスタルキングなどをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したり、テッド・ジェンセンやラリー・アレキサンダーなどによるニューヨークでのミキシングなどに臨んでいる。また、1985年発表のシングル『つめたい別れ』ではスティーヴィー・ワンダーの吹くハーモニカを大々的にフィーチャーしている。中島は後年になって模索に励んだ1980年代中期を振り返り、「御乱心の時代」と称している。自らのレコード・セールスが伸び悩む一方で、職業作家としては後藤次利との共作で工藤静香の「MU・GO、ん・・・色っぽい」、「黄砂に吹かれて」などを作詞し、大ヒットさせた。
そんな「御乱心の時代」は、1988年のアルバム『グッバイ ガール』のプロデュースを手がけた瀬尾一三との出会いによって収まることとなる。中島にとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という彼は適任らしく、それ以降現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっている。1989年からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「夜会」(やかい)をBunkamuraシアターコクーンで毎年12月に上演するようになる。「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、1998年にいったん終了したあともたびたび不定期で上演されている。
[編集] 1990年代
1990年代の日本の音楽業界ではテレビドラマやCMとのタイアップによってミリオンセラーを記録するシングルが後を絶えなかったが、その中において中島みゆきも例に漏れず、『浅い眠り』をはじめとする3枚のミリオンヒットに恵まれている。この3枚のいずれもテレビドラマの主題歌として起用された楽曲であり、なかでも安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の『空と君のあいだに』は147万枚ものセールスを記録する大ヒットとなった。1983年発表のアルバム『予感』収録曲「ファイト!」との両A面扱いで発売されたシングルは、現時点での中島にとっての最大級のベストセラーである。アルバムのほうはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、それでも1980年代後半よりも安定した成績を収めた。1996年にはベストアルバム『大吟醸』がオリコンのアルバムチャートで1位を獲得し、日本における女性ソロアーティストのアルバムチャート1位獲得の当時の最高齢記録を更新(現在この記録を保持しているのは竹内まりや)。しかし、その後数年に渡って、彼女のCDのセールスは全体的に大きく伸び悩んだ。
一方で、1989年から始めた舞台「夜会」に彼女がかけるウェートはより大きくなり、1995年以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成される、より大掛かりなものへと変貌を遂げた。それに伴って、純粋な新曲が発表される機会は次第にペースダウンするようになる。
また、1999年には文部科学省の国語審議会委員を務めた。ちなみに、現時点でこの審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきただ一人だけである。
[編集] 2000年代以降~
2000年には25年に渡って在籍したポニーキャニオンを離れ、当時創設されたばかりで自らが取締役・主要株主として経営にも参画するミニ・メジャーのレコード会社、ヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。以降現在までヤマハから作品を発表している。
移籍後最初にリリースされた中島のシングルが、NHKのテレビ番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌『地上の星/ヘッドライト・テールライト』である。このシングルは主に彼女の作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週に渡ってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。
発売当初、このシングルは全くと言っていいほど話題にならず、HMV天満橋ではニューリリースのコーナーに置かれなかったなど、存在感は極めて希薄であった。しかし、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『短篇集』に、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。このアルバムを発売するにあたっては、ジャケットの仕様をめぐり岩波書店からクレーム(岩波文庫をもじって「山波文庫」=ヤマハ文庫と表記した)がつき、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。
このロングヒットをきっかけに中島は2002年の第53回紅白歌合戦に出演。『プロジェクトX』内でもとりあげられた黒部ダム(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。このとき初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52.8%:ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録。また、極寒の中で極度の緊張から歌詞を間違えたにもかかわらず反響は大きく、『地上の星/ヘッドライト・テールライト』は翌年1月、発売から2年半近くを経てシングルチャートナンバーワンに輝いた。これはオリコン始まって以来のリリース後最長期間(130週)を経た1位獲得記録である。同時に、1970~2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。
2005年12月28日には『プロジェクトX』の最終回に出演。歌詞以外はほとんど声を発することなく、スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱し、カリスマ的存在を再びアピールした。その影響で2006年1月16日、『地上の星/ヘッドライト・テールライト』は、2004年2月2日以来のオリコンシングルチャート100位圏内返り咲き(66位)を達成。通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。
1990年代後半から本格的に行うようになった海外でのレコーディングは21世紀からは主流となり、近年では、ヴィニー・カリウタ、ニール・スチューベンハウス、マイケル・トンプソンなどといった有名スタジオ・ミュージシャンを迎えて毎年アルバムを制作するのが恒例となっている。
1998年に一旦休止した「夜会」は2000年から再び不定期で行われるようになり、2006年の「Vol.14 24時着00時発」は、東京においてはこれまでのシアターコクーンではなく青山劇場で、大阪では初めてシアターBRAVA!において上演された。
2006年、第56回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞した。「コンサートツアー2005」が評価されてのこと。シンガーソングライターとしては初の受賞者。
[編集] 概要
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[編集] 楽曲
- メロディ
覚えやすいメロディーラインもあるが、息継ぎがしづらい曲も多い。
- 歌詞
中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。また、普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。例えば、1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の「永久欠番」。この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、東京書籍発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。
用いられる言葉には難解なものも散見され、アルバムタイトルにもなった「EAST ASIA」という曲には「柳絮」(りゅうじょ:白い綿毛をもった柳の種子。また、それが雪のように散るさま。雪の形容)といった単語も用いられている。
対照的に、工藤静香に提供した「MUGO…ん、色っぽい」や西田ひかるに提供した「きっと愛がある」のように軽いノリの詞も存在する。ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー(「MUGO…ん、色っぽい」 - 「ん、色っぽい」(カネボウ)、「きっと愛がある」 - 「アイがある」(三菱電機))にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。
- 歌唱法
基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。曲によって、また曲の中でも情景や詩が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。例として、「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の歌いまわしの違いが挙げられる。同じアルバムの中でももっと声質の大きく異なる曲が収録されることも多い。歌っているときの声と普段の喋り声とのギャップも著しい。
[編集] ライバル
ユーミンこと松任谷由実は、かつて「ライバルは?」と聞かれ「中島みゆきさん」と答えていた。テレビ・ラジオ等でユーミンは「みゆき」と呼ぶ。逆に中島は、『中島みゆき お時間拝借』で「松任谷」と呼んでいた。
1980年代以降、トレンドに合わせた楽曲でヒットを飛ばす松任谷由実と、己の道を行く中島みゆきを「月と太陽」、「光と影」とするような対比が多く見られ、ユーミンは「恋愛歌の女王」、中島みゆきは「失恋歌の女王」、「女の情念を歌わせたら日本一」などとよく形容された。当人同士は、そうした周囲の対比をさほど気にもかけていない様子。同年代で交友もあり(ユーミンの夫松任谷正隆が中島の曲のアレンジを担当したこともある)、互いに認め合っている。
1984年、中島のコンサートツアー「明日を撃て!」のパンフレットに寄稿したユーミンは、「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と中島の音楽を評している。それに対し中島は、「でも、そうやってこれからも一緒に、日本の布地に風合いを出していきましょう」と締めくくっている。中島は、自身の著書『愛が好きです』の中でユーミンのことを「尊敬している」と語っている。
二人は今までに雑誌で1回、ラジオで3回対談している。ラジオの1回目は『中島みゆきのオールナイトニッポン』である(1983年6月13日)。ラジオの2回目は『松任谷由実のサウンド・アドベンチャー』の『ユーミン・オータムスペシャル with 中島みゆき』(1994年10月23日)の5時間スペシャル。3回目は、中島がユーミンのインターネットラジオ(『ウィークエンドスペシャル 松任谷由実はじめました』、2001年8月24日)に約7分間飛び入り出演した。
[編集] 台湾における知名度
MTVチャイニーズのホームページ内「音楽評論家のアフターヌーンティー」コーナーには「中島みゆきの創作力は、広く認められている。彼女の作品は、常に香港や台湾の歌手にカバーされ、日本のみならず、アジア全域に中島みゆきの音楽が行き渡ったと言っても過言ではない」と書かれている。
膨大な数のカバー曲や、日本音楽業界との密接な関わりにより、彼女のニュースは時々台湾の新聞でも見かけられる。チャイナタイムズ、ユナイテッドデイリーの両新聞社の情報バンクだけを取り上げても、ここ十年間における彼女に関する報道は、年間20~30件ある。
台湾の詩人曾淑美は、文学雜誌で中島みゆきに關する評論を載せ、評論家湯禎兆もアップルデイリーに「中島みゆきの名にちなむ」という文章で中島を紹介した。作家劉黎兒も中島の長年のファンとして知られ、彼女の作品の中に、幾度も中島のことや歌を書き上げたことがある。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- アザミ嬢のララバイ(single version)/さよなら さよなら (1975年9月25日)
- 時代(single version)/傷ついた翼 (1975年12月21日)
- こんばんわ/強い風はいつも (1976年3月25日)
- 夜風の中から(single version)/忘れられるものならば (1976年7月25日)
- わかれうた/ホームにて (1977年9月10日)
- おもいで河/ほうせんか (1978年8月21日)
- りばいばる/ピエロ (1979年9月21日)
- かなしみ笑い/霧に走る (1980年2月5日)
- ひとり上手/悲しみに (1980年10月21日)
- あした天気になれ/杏村から (1981年3月21日)
- 悪女(single version)/笑わせるじゃないか (1981年10月21日)
- 誘惑/やさしい女 (1982年4月5日)
- 横恋慕/忘れな草をもう一度 (1982年9月21日)
- あの娘/波の上 (1983年10月21日)
- ひとり/海と宝石 (1984年3月21日)
- 孤独の肖像/100人目の恋人 (1985年9月18日)
- つめたい別れ/ショウ・タイム (1985年12月21日)
- あたいの夏休み/噂 (1986年6月5日)
- 見返り美人/どこにいても (1986年9月21日)
- やまねこ/シーサイド・コーポラス(Full Version)(1986年11月21日)
- 御機嫌如何/シュガー (1987年10月5日)
- 仮面/熱病(2nd Version) (1988年2月26日)
- 涙-Made in tears-/空港日誌 (1988年10月21日)
- あした(single mix)/グッバイガール (1989年3月21日)
- with/笑ってよエンジェル (1990年8月21日)
- トーキョー迷子/見返り美人(2nd Version) (1991年6月5日)
- 誕生/Maybe (1992年3月4日)
- 浅い眠り/親愛なる者へ (1992年7月29日)
- ジェラシー・ジェラシー/兆しのシーズン (1993年4月21日)
- 時代('93 single version)/最後の女神 (1993年12月1日)
- 空と君のあいだに(single version)/ファイト! (1994年5月14日)
- 旅人のうた(single version)/SE・TSU・NA・KU・TE (1995年5月19日)
- たかが愛/目を開けて最初に君を見たい (1996年11月21日)
- 愛情物語/幸せ (1997年11月7日)
- 命の別名/糸 (1998年2月4日)
- 瞬きもせず(single version)/私たちは春の中で/瞬きもせず(MOVIE THEME VERSION)(1998年10月7日)
- 地上の星/ヘッドライト・テールライト (2000年7月19日)
- 銀の龍の背に乗って/恋文 (2003年7月23日)
- 帰れない者たちへ/命のリレー('04 夜会LIVE VERSION) (2006年2月1日)
[編集] オリジナル・アルバム
- 私の声が聞こえますか (1976年4月25日)
- みんな去ってしまった(みんないってしまった) (1976年10月25日)
- あ・り・が・と・う (1977年6月25日)
- 愛していると云ってくれ (1978年4月10日)
- 親愛なる者へ (1979年3月21日)
- おかえりなさい (1979年11月21日)
- 生きていてもいいですか (1980年4月5日)
- 臨月 (1981年3月5日)
- 寒水魚 (1982年3月21日)
- 予感 (1983年3月5日)
- はじめまして (1984年10月24日)
- 御色なおし (1985年4月17日)
- miss M. (1985年11月7日)
- 36.5℃ (1986年11月12日)
- 中島みゆき (1988年3月16日)
- グッバイ ガール (1988年11月16日)
- 回帰熱 (1989年11月15日)
- 夜を往け (1990年6月13日)
- 歌でしか言えない (1991年10月23日)
- EAST ASIA (1992年10月7日)
- 時代-Time goes around- (1993年10月21日)
- LOVE OR NOTHING (1994年10月21日)
- 10 WINGS (1995年10月21日)
- パラダイス・カフェ (1996年10月18日)
- わたしの子供になりなさい (1998年3月18日)
- 日-WINGS (1999年11月3日)
- 月-WINGS (1999年11月3日)
- 短篇集 (2000年11月15日)
- 心守歌-こころもりうた (2001年9月19日)
- おとぎばなし-Fairy Ring- (2002年10月23日)
- 恋文 (2003年11月19日)
- いまのきもち (2004年11月17日)
- 転生 TEN-SEI (2005年11月16日)
- ララバイSINGER (2006年11月22日)
[編集] ベスト・アルバム
- 中島みゆき THE BEST(1986年1月5日、現在では廃盤)
- Singles (1987年8月21日)
- 中島みゆき PRESENTS BEST SELECTION 16(1989年3月21日、現在では廃盤)
- 中島みゆき BEST SELECTION II(1992年4月1日、現在では廃盤)
- Singles II (1994年4月21日)
- 大吟醸 (1996年3月21日)
- 大銀幕 (1998年11月6日)
- Singles 2000 (2002年4月17日)
- 元気ですか(2006年6月14日)
[編集] ライヴ・アルバム
[編集] CD BOX
- その他、通信販売限定のBOXあり。
[編集] カヴァー&トリビュートアルバム
[編集] VHS&DVD
- 中島みゆき CDV GOLD(1987年8月21日)
- A FILM of Nakajima Miyuki(1991年6月21日)
- 夜会1990(1991年11月7日)
- 夜会 VOL.3 KAN-TAN 邯鄲(1992年10月21日)
- 夜会 VOL.4 金環蝕(1993年11月3日)
- 夜会 VOL.5 花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に(1994年11月2日)
- ドキュメント夜会 VOL.5 花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に(1994年11月2日 ※DVDでの発売はなし)
- 夜会 VOL.6 シャングリラ(1995年11月1日)
- 夜会 VOL.7 2/2(1996年11月7日)
- A FILM of Nakajima Miyuki II(1997年3月21日)
- 夜会 VOL.8 問う女(1997年11月19日)
- 夜会 VOL.10 海嘯(1999年12月1日)
- THE FILM of Nakajima Miyuki(2000年8月2日)
- 夜会の軌跡 1989~2002(2003年12月3日)
- 夜会 VOL.13 24時着0時発(2004年12月8日)
- 歌姫 LIVE in L.A.(2004年12月23日)
- 中島みゆきライヴ!Live at Sony Pictures Studios in L.A.(2005年3月23日)
[編集] 他人への主な提供曲
[編集] 作詞・作曲
- 研ナオコ - 「LA-LA-LA」「雨が空を捨てる日は」「明日靴が乾いたら」「わすれ鳥のうた」「あばよ」「強がりはよせヨ」「はぐれ鳥」「ふられた気分」「さよならを伝えて」「杏村から」「かもめはかもめ」「窓ガラス」「みにくいあひるの子」「こぬか雨」「ひとりぽっちで踊らせて」ほか。中島ソング唄い手の代表的な一人。
- 山内恵美子 - 「笑わせるじゃないか」「ほっといてよ」
- 日吉ミミ - 「命日」
- ちあきなおみ - 「ルージュ」「帰っておいで」「うかれ屋」
- 桜田淳子 - 「追いかけてヨコハマ」「しあわせ芝居」「20才になれば」「化粧」
- 加藤登紀子 - 「この空を飛べたら」
- グラシェラ・スサーナ - 「さよならの鐘」「髪」
- 小柳ルミ子 - 「雨…」
- 根津甚八 - 「ピエロ」
- 増田惠子 - 「すずめ」
- 古手川祐子 - 「煙草」
- 柏原芳恵 - 「春なのに」「カム・フラージュ」「最愛」「ロンリーカナリア」
- 松坂慶子 - 「海と宝石」
- 三田寛子 - 「少年たちのように」「愛される花 愛されぬ花」
- 松本典子 - 「儀式(セレモニー)」
- 前川清 - 「涙」
- 田中一郎&甲斐よしひろ - 「あり、か」
- 薬師丸ひろ子 - 「空港日誌」「未完成」「おとぎばなし」「時代」
- 工藤静香 - 「激情」「雪・月・花」「Clavis -鍵-」(『雪・月・花』は2003年のアルバム『おとぎばなし-fairy ring-』で、『Clavis~』は2006年のアルバム『ララバイSINGER』でセルフカバー)
- 佐田玲子(さだまさしの妹) - 「くらやみ乙女」
- 吉田日出子 - 「あどけない話」
- 中江有里 - 「風の姿」
- パトリシア・カース - 「かもめの歌」
- 雪村いづみ - 「夢見る勇気(ちから)」
- 高倉健&裕木奈江 - 「あの人に似ている」(さだまさしとの共作。2002年のアルバム『おとぎばなし-Fairy Ring-』では、中島みゆき&さだまさしでセルフカバー)
- 吉田拓郎 - 「永遠の嘘をついてくれ」(吉田拓郎からの製作依頼によって作られた曲と言われている。1996年リリースのアルバム「パラダイス・カフェ」でセルフカバー)
- 小林幸子 - 「幸せ」
- 石嶺聡子 - 「You don't know」
- 竹中直人 - 「紅灯の海」
- 由紀さおり・安田祥子 - 「帰省」
- 柴咲コウ - 「思い出だけではつらすぎる」(2003年のアルバム『恋文』でセルフカバー)
- 岩崎宏美 - 「ただ・愛のためにだけ」(2006年のアルバム『ララバイSINGER』でセルフカバー)
- 華原朋美 - 「あのさよならにさよならを」(2006年のアルバム『ララバイSINGER』でセルフカバー)
- TOKIO - 「宙船(そらふね)」(2006年のアルバム『ララバイSINGER』でセルフカバー)
[編集] 作詞
- 郷ひろみ - 「美貌の都」「SCENE21・祭り街」(作曲:筒美京平)、「比呂魅卿の犯罪」(作曲:坂本龍一)
- 工藤静香 - 「FU-JI-TSU」「証拠を見せて」「さよならの逆説」「ブリリアント・ホワイト」「裸爪(はだし)のライオン」「MUGO・ん…色っぽい」「群衆」「黄砂に吹かれて」「秋子」「私について」「TEL…ME」「つぎはぎのポートレート」「Embrace」「慟哭」「コール」「他人の街」「そのあとは雨の中」(作曲:後藤次利)
- 長山洋子 - 「肩幅の未来」「な・ま・い・き」(作曲:筒美京平)
- 坪倉唯子 - 「365の夜と昼」(作曲:寺尾広)
- 森山良子 - 「花束を私のために」(作曲:倉田信雄)
- 西田ひかる - 「きっと愛がある」(作曲:朝倉紀幸)
- Non - 「握手」(作曲:Non)
[編集] 作曲
- 桜木健一 - 「別れのための子守歌(ララバイ)」(作詞:及川恒平)
- 日吉ミミ - 「世迷い言」「翔べないわ」(作詞:阿久悠)
- フェイ・ウォン - 「人間」(作詞:林夕、1998年リリースのアルバム『私の子供になりなさい』では詞を自ら書き直し「清流」というタイトルでセルフカバーしている。)
[編集] 主なタイアップ曲
- 愛情物語 - テレビ朝日系ドラマ『はみだし刑事情熱系 PARTII』主題歌(1997年)
- 浅い眠り - フジテレビ系ドラマ『親愛なる者へ』主題歌(1992年、中島本人も女医役で第2話と最終話に出演。)
- あした - KDD「001」CMソング(1989年3月~9月)
- 安寿子の靴 - NHKドラマスペシャル『安寿子の靴』主題歌(1984年)
- 糸 - TBS系ドラマ『聖者の行進』主題歌(1998年)、国民文化祭ふくい2005イメージソング
- 命の別名 - TBS系ドラマ『聖者の行進』主題歌(1998年)
- 命のリレー - フジテレビ系ドラマスペシャル『女の一代記』シリーズ主題歌(2005年、アルバム『転生 TEN-SEI』より収録)
- with - 松竹映画『息子』イメージソング(1991年)
- 雨月の使者 - NHKドラマスペシャル『雨月の使者』主題歌(1987年)
- おだやかな時代 - テレビ朝日系『ニュースステーション』内コーナー「日本の駅」テーマソング(1986年)
- 御機嫌如何 - 郵政省「かもめーる」CMソング(1994年・1995年、本人出演)
- 帰れない者たちへ - テレビ朝日系ドラマ『松本清張 けものみち』主題歌(2006年、アルバム『転生 TEN-SEI』より収録)
- 銀の龍の背に乗って - フジテレビ系ドラマ『Dr.コトー診療所』、『Dr.コトー診療所2006』主題歌(2003年・2006年)
- 最後の女神 - TBS系『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ(1993年)
- 時代('93 Single Version) - 郵政省「お年玉付き年賀はがき」CMソング(1993~2000年、本人出演)
- 世情 - TBS系ドラマ『3年B組金八先生~卒業式前の暴力~』挿入歌(1981年)
- 空と君のあいだに - 日本テレビ系ドラマ『家なき子』主題歌(1994年、アルバム『LOVE OR NOTHING』ではアルバムバージョンとして収録)
- たかが愛 - テレビ朝日系ドラマ『はみだし刑事情熱系』主題歌(1996年)
- 旅人のうた - 日本テレビ系ドラマ『家なき子2』主題歌(1995年)
- 誕生 - 東宝映画『奇跡の山-さよなら、名犬平治』主題歌(1992年)
- 地上の星 - NHK『プロジェクトX~挑戦者たち~』オープニングテーマ(2000年~2005年)
- 匂いガラス - NHKドラマスペシャル『匂いガラス』主題歌(1986年)
- ニ隻の舟 - 「夜会」テーマソング、映画『霧の子午線』主題歌(1996年)、フジテレビ系ドラマ『海峡を渡るバイオリン』主題歌(2005年)
- 眠らないで - 映画『海ほおづき』主題歌(1994年)
- ファイト! - 住友生命「ウィニングライフ」CMソング(1994年)
- ヘッドライト・テールライト - NHK『プロジェクトX~挑戦者たち~』エンディングテーマ(2000年~2005年)
- まつりばやし - 北海道拓殖銀行CMソング(1992年)
- 瞬きもせず(MOVIE THEME VERSION) - 山田洋次監督作品・映画『学校III』主題歌
- Maybe - パナソニック「ブレンビー」CMソング(1991年)
- 私たちは春の中で - 映画『大いなる完』主題歌(1998年)
- 孤独の肖像1st. - 唐十郎監督映画『ガラスの使徒(つかい)』主題歌(2005年、中島本人も「糸占い」の占い師役として出演)
[編集] 「夜会」の演目
- 夜会 ・・・(1989年11月17日~12月9日、全20公演)
- 夜会1990 ・・・(1990年11月16日~12月8日、全20公演)
- 夜会VOL.3 KAN-TAN(邯鄲) ・・・(1991年11月13日~12月7日、全20公演)
- 夜会VOL.4 金環蝕 ・・・(1992年11月12日~12月11日、全23公演)
- 夜会VOL.5 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に ・・・(1993年11月14日~12月11日、全22公演)
- 夜会VOL.6 シャングリラ ・・・(1994年11月11日~12月10日、全23公演)
- 夜会VOL.7 2/2(にぶんのに) ・・・(1995年11月26日~12月25日、全23公演)
- 夜会VOL.8 問う女 ・・・(1996年11月25日~12月25日、全24公演)
- 夜会VOL.9 2/2(にぶんのに・再演) ・・・(1997年11月25日~12月27日、全25公演)
- 夜会VOL.10 海嘯 ・・・(1998年11月23日~12月25日、全25公演)
- -当初は10年で終わりにするつもりだったため、ここで一区切りとなる。
- -デビュー当時からの盟友である谷山浩子と共演している。
- 夜会VOL.12 ウィンターガーデン(再演) ・・・(2002年11月26日~12月24日、全22公演)
- 夜会VOL.13 24時着 0時発 ・・・(2004年1月3日~1月28日、全20公演)
- 夜会VOL.14 24時着 00時発(再演) ・・・(2006年1月27日~5月14日、全36公演)
- -夜会初の大阪公演が行われた。
夜会のチケットは入手困難な上、高額なことで知られる。また、入場は中学生以上に限定されている。
[編集] 主な書籍・出版物
著書
- 愛が好きです(新潮文庫)
- 伝われ、愛―月曜のスタジオから(新潮社) 1984年
- 女歌(新潮社)1986年
- 片想い(新潮文庫)1987年
- LOVE(ニッポン放送出版) 1987年
- 泣かないで・女歌(新潮社)1988年
- この空を飛べたら(新潮社) 1991年
- ジャパニーズ・スマイル(新潮社) 1994年
- 中島みゆき お時間拝借(TOKYO FM出版) 1995年
- シャングリラ(角川書店) 1995年
- 2/2(幻冬舎) 1996年
- ウィンター・ガーデン(幻冬舎)2001年
- もっぷでやんす(小学館文庫)2003年
- 時代(サンマーク出版)2005年
編著
- 日本の恋歌3 涙がでないのはなぜ(作品社) 1985年
データブック
- 地球音楽ライブラリー 中島みゆき(TOKYO FM出版)
CD-ROM(但し以下3作とも全て廃盤)
- なみろむ 1997年10月17日 PlayStation、PC DVD-ROM/DVD-VIDEOのハイブリッド、PC CD-ROM
- なみごよみ 2003年12月 PC CD-ROM
- なみめくり 2004年12月 PC CD-ROM(誕生日設定があり、誕生日には中島みゆき本人の肉声によりお祝いのメッセージが流れる。)
[編集] ラジオパーソナリティ
- ヤマハ・フォークイン(TBSラジオ、1976年4月10日~1978年3月26日)
- 電撃わいどウルトラ放送局(ラジオ関東、1977年)
- ミュージックマガジン(毎日放送ラジオ 1978年10月6日~1979年4月6日、1979年10月12日~1980年3月21日、1980年10月17日~1981年3月27日、1982年2月12日~同年4月2日)
- 中島みゆきのオールナイトニッポン(ニッポン放送 月曜第1部 1979年4月2日~1987年3月)
- 中島みゆき ほのぼのしちゃうのね(2003年、2004年)(ニッポン放送 月曜-金曜10:00-10:10→10:30-10:40)
- 中島みゆき お時間拝借(1994年4月-1997年9月)(TOKYO-FM系 土曜23:00→日曜23:00)
- ジョイフルポップ・サウンドアラカルト(NHK-FM 金曜 1989年-1990年)
- ミュージックスクエア(NHK-FM 金曜1990年~1994年) 本人は「フル金(ジョイフルポップ金曜日)」と呼んでいた。
- その他コメントゲスト(事前録音)という形で、2005年3月21日に放送された『NHK80周年・ラジオ深夜便15周年記念スペシャル・シンガーソングライターの時代』に出演した。また、2006年3月21日にTOKYO-FMで放送されたスペシャル番組にもスペシャル・パーソナリティーとして登場。往年の『中島みゆき お時間拝借』の雰囲気を再現したかのような内容が放送された。
[編集] テレビ出演歴
- ミュージックフェア(フジテレビ、1975年12月2日・1978年2月21日)
- 明日の刑事(TBS、1977年12月7日)- 第10話に出演
- 親愛なる者へ(フジテレビ、1992年7月9日・9月17日)-南雲律子役、第2話と最終話
- FNS歌謡祭(フジテレビ、1992年12月8日)ビデオでの出演、「浅い眠り」を歌う
- 筑紫哲也 NEWS23(TBS、1993年11月10日・1998年11月23日)
- 中島みゆき3Days-もっとみゆきと深い仲『第一夜、第二夜、第三夜』(NHK BS2、1994年1月10日〜1月12日)
- 中島みゆき『夜会の冒険』(NHK BS2、1999年12月7日)
- 第53回NHK紅白歌合戦(NHK、2002年12月31日)- 初出場し、黒部ダムから中継 歌詞を間違えたことも有名
- プロジェクトX~挑戦者たち~(NHK総合、2005年12月28日)- 最終回にあたり、エンディングで「ヘッドライト・テールライト」を歌う。
- 吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋2006(BShi・・・2006年9月23日、NHK総合・・・2006年10月23日、BS2・・・2006年10月29日)
[編集] CM出演歴
- 麒麟麦酒「キリンプレミアムビール」(1991年)
- 大関「ワンカップ大関」(1997年) - 田村正和との共演
- 郵政省「年賀はがき」(1993年 - 2000年)
- 郵政省「かもめーる」(1994年、1995年)
- サッポロビール「北海道 生搾り」(2005年、2006年) - 桜井秀俊(真心ブラザーズ)との共演。「生搾り」の特設ホームページでは、ホームページ限定で、真心ブラザーズのYO-KINGも含んだ3人での共演のCMも公開されている。
[編集] 映画出演歴
[編集] 関連人物
- 吉田拓郎 - デビュー前、中島は拓郎の追っかけをやっており、拓郎の楽屋にも出入りするほど、周囲では有名なファンであった。拓郎は、中島の「ファイト!」を気に入っており、よくコンサートで歌っている。また、中島は拓郎のことを「よた」と呼んでいた。2006年9月23日に行われた「吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006」にゲスト出演し、提供曲「永遠の嘘をついてくれ」で共演した。
- 松山千春 - 共に札幌テレビ放送(STV)のディレクターだった竹田健二(1977年、37歳で急逝)に恩義があり、北海道出身同士の友人。髪が薄いのをからかって中島が「(さだ)まさしと千春にわかめの花束をあげよう」と言ったことも(さだまさし談・・・焼肉屋でさだと松山が薄毛対策のためにわかめスープを飲んだことを後日中島が知ったため)あったが、最近は接点がない。恋仲を噂されたこともあったが、千春によると「あの性格では、誰もが結婚を躊躇する」とのこと。ただし、これは千春が中島に会いに行ったところ、「疲れているから」という理由で母親に追い返されたのを根に持っての発言らしい。
- さだまさし - 「あの人に似ている」を共作。後に二人でレコーディングした際のインタヴューではお互いに「ファンだ」と言い合っていた。ちなみに、このデュエットの実現は中島の要請によるものである。さだは、2006年元日に放送された自身司会のNHK『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』で、『プロジェクトX』の後継番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の番宣に登場したNHKスタッフに、「この番組には中島みゆきさんの歌はないんですか?」とわざわざ質問していた。また、さだの妹・佐田玲子のデビュー曲は、中島が書いている。深い内容の歌詞、歌と明るい喋りのギャップなど、さだと中島には共通する点もある。
- 谷川俊太郎 - 中島みゆきが大学の卒論のテーマとして選んだ詩人
- 瀬尾一三 - 『グッバイガール』以来、ずっと中島のアレンジャー、プロデューサーを務めている。
- 後藤次利 - 一時期編曲・ベース演奏で中島と多く組んだ。恋仲を疑う声もあったが邪知だったといわれる。
- 斎藤ノブ
- 甲斐よしひろ - 『36.5℃』でプロデューサー、『中島みゆき』でコンポーザーとして組んだ。当時、中島は甲斐のことを「お父さん」と呼んでいたが、この時期の作品を、中島自身「御乱心時代」と呼んでることもあってか、そのころの関係には、お互いあまり触れられたくないようである。1986年6月29日黒澤フィルム・スタジオでの甲斐バンドのスペシャル・ラスト・ライヴにゲスト出演し、甲斐バンドの「港からやってきた女」を共演した。この模様は甲斐バンドのDVD『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』、CD『シークレット・ギグ』に収録されている。
- 桜田淳子
- 研ナオコ・谷山浩子・工藤静香 - 自他共に認め合う年来の大親友たち。
- 筒美京平
- 明石家さんま - 1980年代、聴取率週間のため『中島みゆきのオールナイトニッポン』に出演。しかし肝心の中島みゆきは、TVでひょうきん族を見たことがないだけでなく、明石家さんまの存在自体を知らなかった。当然、話はかみ合わずさんまが「『8時だよ!全員集合』ってみたことあります?」みゆき「昔・・・」さんま「その裏番組で『ひょうきん族』っていう番組をしてます・・」という会話があった。その後さんまはひょうきん族の収録でビートたけしに「中島みゆきに相手にされなかった・・」と悲しそうに語ったらしい。
- 槇原敬之 - カバーアルバムで「空と君のあいだに」「ファイト!」をカバー。『お時間拝借』にゲスト出演したこともある。
- 桜井和寿 - 自身と小林武史が中心のバンドBank Bandで「僕たちの将来」(アルバム『はじめまして』収録)「糸」をカバー
- 田村仁 - 写真家。中島の『みんな去ってしまった』から現在までのアルバムジャケット写真をはじめ、世に出回る中島の写真のほとんどの撮影は彼によるものである。
- うえやなぎまさひこ
- 竹中直人
- 安達祐実 - 安達主演のテレビドラマ『家なき子』、『家なき子2』(1994年-1995年 日本テレビ)主題歌で大ヒットとなる。
- 武田鉄矢 - 「(中島みゆきを指して)あの子は、海援隊が北海道でコンサートやったときにモギリをしてたのに、出世したね」と度々ラジオ等で発言していた。
- 和田アキ子 - 「化粧」を聞くと号泣し、呼吸困難に陥って救急車で運ばれるらしい。
- 秋本治 - 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の初めの方には、中島みゆきに関連した書き込みが多く見られる。また、中島みゆきは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコミックス(11巻)の後ろの紹介文も書いている。
- 山内亮史 - 『中島みゆきの社会学』著者、旭川大学学長。中島みゆきのファンであり、講義でも数多く中島みゆきについて解説している。
- 村上龍 - GORO(1978年5月25日号)で対談(「四日違いで生まれたから」→『片想い』収録)。『女歌』の文庫版に解説「幸福という言葉に惑わされない女達」を寄稿。村上と坂本龍一がホストの鼎談集『EV.Cafe 超進化論』では吉本隆明と3人で中島の歌詞について語っている。また小説『テニスボーイの憂鬱』では、会話の中で中島みゆきが話題になる箇所があり、登場人物の一人が、涙が出てきそうな歌の文句として「五才の頃」の歌詞に触れる台詞がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- でじなみ DIGI-NAMI(公式サイト)
- 中島みゆき研究所(ファンサイト)
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