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中華民国の歴史 - Wikipedia

中華民国の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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中華民国ちゅうかみんこく)は、1912年から1949年まで中国を支配していたアジア最初の共和制国家であるとされている。しかしながら、この頃は各地の軍閥がそれぞれ正当を主張していたので、中国を支配していたとは言い難い。戦後の中華人民共和国とは違い、中国全土の正統政府では無かった。単に正統政府を自称していたと考える方が適切である。

中国国民党による北伐の前後で、北京政府期と南京国民政府期に大別される。建国初期の袁世凱による統治期を除いて、中華民国は国内的・国際的要因から政府が分裂状態にあり、中華民国の代表政府が同時期に2つ存在する時期もあった。

中華民国は第二次世界大戦後の中国共産党との内戦に敗北し、1949年4月に首都・南京共産党軍に制圧された事で崩壊状態に陥った。その為に、共産党はこれを以って中華民国が消滅したと判断し、同年10月に中華人民共和国の建国を宣言、中国人民政府を樹立した。しかし、蒋介石を中心とする国民党の一派(国民党右派)は、崩壊状態にあった中央政府を49年12月に台湾へ避難させる事に成功し、翌年に「中国を統治する国家」としての台湾国民政府を再構築した。なお、内戦によって中華民国の全関係者が台湾へ避難したわけでは無く、蒋介石と袂を分かって共産党と行動を共にしたり、国外へと避難したりする者も多数いた。

目次

[編集] 北京政府期(1912~1928)

1912年の中華民国内閣初組閣時の記念写真後列左より 農林総長宋教仁・交通総長施肇基・陸軍総長段祺瑞・司法総長王寵恵・翰長魏宸祖前列左より 教育総長蔡元培・商工総長代理王正廷・海軍総長劉冠雄・外務部総長代理胡惟徳・総理唐紹儀
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1912年の中華民国内閣初組閣時の記念写真
後列左より 農林総長宋教仁・交通総長施肇基・陸軍総長段祺瑞・司法総長王寵恵・翰長魏宸祖
前列左より 教育総長蔡元培・商工総長代理王正廷・海軍総長劉冠雄・外務部総長代理胡惟徳・総理唐紹儀
袁世凱軍隊の洋式化、インフラの充実などを強く推進したが、一方で政治体制への変革には興味を持たなかった
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袁世凱
軍隊の洋式化、インフラの充実などを強く推進したが、一方で政治体制への変革には興味を持たなかった
1928年以前の国旗
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1928年以前の国旗

北京政府とは、1912年から1928年まで北京に存在した中華民国の正統な政府である。

中華民国は、1911年武昌起義にはじまる辛亥革命において、1912年1月1日、南京において成立した。 この時点では、北京に朝が存続しており、「中国を代表する」政府が南北に並存する状況にあった。 しかし、同年2月12日に清朝の皇帝・宣統帝が退位することによって、中華民国政府が中国を代表することになった。

南京に成立した臨時政府では、国家元首に当たる臨時大総統孫文であった。 だが、孫文は当時国内で最も軍事力を有し、また清朝の全権を握っていた袁世凱と交渉し、南北分裂状態であった中国を臨時政府によって統一させるため、宣統帝の退位、臨時約法の遵守といった条件とひきかえに臨時大総統職を彼に譲った。 しかし、袁世凱は臨時大総統就任後、責任内閣制の導入を図る国民党(中国同盟会を改組したもの、のちの中国国民党とは異なる)の宋教仁を暗殺したほか、統治の拠点を自らの軍事基盤である北京において専制体制を強化した。

こうした袁の専制への反発から、1913年7月には江西の李烈鈞らが中心となって第二革命が勃発した。 しかし、反袁勢力の結集に失敗して鎮圧され、袁は正式に大総統へ就任した。 第一次世界大戦の最中である1915年に日本から出された対華二十一か条要求(中国に於ける日本の利権を絶対的に保証する内容)を批准し、更には帝政復活を宣言して国号を「中華帝国」に改めた。 これにたいして国内外からは非難の声が殺到し、雲南の唐継堯らが倒袁運動を展開(第三革命)したほか、袁の権力基盤である北洋軍閥の諸将からも反発もうけた。 このため袁は翌1916年に帝政復活取消を宣言せざるをえなくなり権威を失墜させ、そのまま同年6月に病死した。


袁世凱政権の後期、辛亥革命以来のチベットモンゴルとの抗争に、それなりの決着がつけられた。 清朝の滅亡にともなう遺領の再編において、チベットガンデンポタンモンゴルのジェプツンタンパ政権は、「文殊皇帝」(=清朝の皇帝)が退陣した結果、その支配下にあった中国、チベット、モンゴルなどはそれぞれ対等、別個になったという立場をとりって、チベット、モンゴルそれぞれが独立国家として国際承認をうけることを目指し、国際社会への働きかけに着手した。

いっぽう、中華民国(南京臨時政府、北京政府)は、清朝の旧領をすべてを領域とし、自身を「中国」の「中央政府」と位置づける立場をとり、チベット、モンゴルの民族政権と戦火を交えた。 この紛争を調停するべく、モンゴルにはロシア、チベットにはイギリスが後ろ盾となって、キャフタ会議、シムラ会議(1913年-1914年)が開かれた。

この二つの会議では、チベット、モンゴルを独立国家としては承認せずに中華民国の宗主権下での内政自治を行使するにとどめること、チベットのアムド(青海ほか)、カム(西康)部分、モンゴルの内蒙古部分は中華民国の直接統治下におくこと、チベットとモンゴルの両民族政権はそれぞれの国土の中核部分(チベットは西蔵部分、モンゴルは外蒙古部分)だけを管轄すること、などを骨子とする協定案がまとめられた。

キャフタ会議では、モンゴル、中国、ロシアがキャフタ協定に調印、批准し、以後この協定にもとづく安定した関係が築かれ、後の南京国民政府による外蒙古部分のみを領土とするモンゴルの独立承認へとつながっていった。

これに対し、シムラ会議では、ガンデンポタンが内政自治権を行使する領域の境界について合意が成立せず、シムラ協定の批准(1914年)はイギリス、チベットの2者のみにとどまり、以後もチベットと中国との間では、しばしば戦火を交える緊張状態がつづくこととなった。


袁世凱の死後、中華民国には中国全土を完全に統治する「統一政府」が存在しない状態が生まれた(1916年‐1928年)。 そのため、軍閥が群雄割拠する内乱状態となり、同時に列強諸国による中国の半植民地化も進行したのである。 しかし同時に、この時期には日本から出された対華二十一か条廃棄を挙国的に要求する五四運動(1919年)が起きたほか、陳独秀などが主導した新文化運動が広範な人々の支持をうけるなど中国近代化を象徴する出来事が起こっている。 このようななか、孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州で樹立した。 また、孫文は成立したばかりのソビエト連邦1917年建国)と接触し、その後の1924年には中国共産党党員(1921年創党)がその党籍を保持したままで国民党への入党を認めるという、いわゆる第一次国共合作をおこなっている。

孫文は1925年に死去したが、1926年になると蒋介石が孫文亡きあとの国民党の主導権を握り、広州を起点に北伐を開始、その過程で軍閥なども糾合していくことによって中国の統一がすすめられた。 1927年、蒋介石による国民革命軍が南京を占領するが、外国領事館を襲撃する南京事件が起こる。 この事件はコミンテルン中国共産党の指令、扇動によるともいわれるが、この事件により蒋介石は共産勢力を敵視するようになり、1927年 4月国共合作を解消すると、上海、武漢などの各地方で国民党内部から共産党を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。 この際、北伐は一時停滞、国民政府は蒋介石の南京国民政府(1927年4月18日)とこれに反対する汪兆銘等の武漢国民政府に分裂する。 しかし、劣勢な武漢国民政府は数カ月後の1927年8月19日には南京国民政府に合流することになり、結果、南京国民政府を主導する蒋介石の権力はより一層強固なものとなった。 1928年4月8日、北伐が再開される。北伐におされ、北京から撤退した北方軍閥の張作霖が、6月4日関東軍によって爆殺された(張作霖爆殺事件)のち、6月9日国民党軍の北京入城によって北伐完了が宣布され、同年10月10日、蒋介石は訓政の実施を発布し南京を首都とする国民政府が正式に成立した。 さらに同年12月29日には東北の張学良が易幟をおこない国民政府に帰順する。ここにおいて、中華民国は各地の軍閥や共産党勢力といった独立勢力を抱えつつも南京国民政府によって一応の全国統一をみたのである。

[編集] 南京国民政府期(1928~1949)

南京国民政府成立時に制定された新国旗
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南京国民政府成立時に制定された新国旗
蒋介石国家指導者としての政策や日中戦争時の対応、国民党内の権力争いなどをめぐって、今日では様々な評価が為されている。
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蒋介石
国家指導者としての政策や日中戦争時の対応、国民党内の権力争いなどをめぐって、今日では様々な評価が為されている。

南京国民政府とは、1928年から1949年まで南京に存在した中華民国の正統な政府である。なお、日中戦争下の大日本帝国では、1940年成立の汪兆銘政権を「南京国民政府」と呼称し、重慶へ撤退した従前の南京国民政府を一地方政府とみなして「重慶政府」と呼称していたが、ここでは「重慶政府」も南京国民政府として解説する。

主席就任後、蒋介石は意慾的に中国現代化を推進する改革を行った。しかしその頃、毛沢東が指揮する中国共産党は農村を中心として支配領域を広げていき、1931年には江西省に中華ソビエト共和国臨時政府を樹立するまでに勢力を拡大していた。その為に蒋は共産党に対して断固たる攻撃を幾度も加え、1934年には共産党をほぼ壊滅の状態にまで追い込んだ。だが蒋は毛沢東の長征までは防ぐことが出来ず、その後も国共内戦は継続されていった。それと同時期に、日本関東軍満州事変を契機として満州を掌握し、かつて清朝の皇帝であった宣統帝を皇帝に推戴する満州国を建国した(十五年戦争の始まり)。その為に南京国民政府の統治区域でも全国的に一致抗日を要求する世論が高まったが、蒋は日本との国力の差を考慮した上で国内の統一による国力増強を最優先目標とした為、対日対策よりもむしろ中国共産党との戦いの方をより強化していった。そのような中、父である張作霖を関東軍に殺された満州の軍閥・張学良は、共産党の取締りに対する協力を求めて西安を訪問した蒋を軍隊の動員によって西安に抑留し、国民党と共産党の再合作を要求した(西安事件)。蒋は最終的にこれを受諾し、西安を訪問した共産党代表・周恩来との会談を通じてこれを公式に宣伝した後に共産軍を国民党所属八路軍として国民政府軍に組み入れた(第二次国共合作)。

1937年の盧溝橋事件を契機として、南京国民政府は日本との全面戦争状況になった(日中戦争)。だが、兵力の差から国民政府軍は各地で敗北を喫し、同年の内に首都・南京を日本軍に制圧された。その為に蒋介石は首都を重慶へと移し、共産党との抗日連合戦線や米英などからの支援を通じて全面的な抗日戦争を行った。戦争開始翌年の1938年には日中間の大規模な戦闘が減ってきた為に、日本軍は国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府を樹立した。だが、日本軍が住民の強制連行、強制徴収を多発した為に庶民間には反日機運が広まり、国民政府と共産党もそれを利用してゲリラ戦を展開することで日本軍を次第に包囲していった。しかし一方の抗日連合戦線側も、ソ連の支援を受けた共産党が抗日戦争と同時に延安を中心として支配領域を広げる動きも見せていた事から、国民政府と共産党との間でも幾度か戦闘が行なわれていた。その為に1938年以降の中国では、日本率いる新国民政府、米英支援の国民政府、ソ連支援の共産党との間で三つ巴の戦闘が事実上行なわれていた。だが、日本への対抗を目的として国民政府を支援していた米英は共産党とも対峙する国民政府に対して不信感を抱くこととなり、後に再燃した国共内戦時の国民政府への支援に影響することとなった。

日本は1941年アメリカ合衆国とも開戦して第二次世界大戦に参加したが、1945年には中華民国を含む連合国に対して降伏し、中国における日中間の戦闘も終結した。また、第二次大戦終了後には満州国や新国民政府が崩壊して再び国民政府の統治下に入った他、日本だけでなくヨーロッパ諸国も租界の返還や不平等条約の改正をするなどした為、アヘン戦争以来続いていた中国の半植民地状況は一応の終わりを見せた。更には、日本が降伏の際に放棄した台湾も統治地域に編入し、中華民国の国土が増加した。しかし、終戦直後から蒋介石率いる国民政府と共産党は戦後の中華民国政府のあり方を巡って見解の違いを露わにするようになり、アメリカの停戦調停にもかかわらず、1946年には国共内戦が再燃した。内戦の再燃直後、国民政府はアメリカから受けた軍事支援を基に共産党に対して攻勢を強めていた。

だがその一方で、国民政府軍は占領地で略奪を働いたりした為に民心の離反を招き、共産党の反攻が始まると各地で大規模な敗北を喫するようになった。この間に、国民政府は中華民国憲法を制定(1947年)し、憲法に基づいて蒋介石を総統(国家元首)とする憲政政府を成立(1948年)させることで自己の正当性を示そうとした。だが、それでも中華民国政府軍の敗北は止まらず、戦時中から蒋介石政権に不信を抱いていたアメリカが軍事的支援を停止したことも相まって、国民党の内戦敗北は決定的となった。その為に、蒋介石は1949年1月に総統職を辞し、李宗仁が代行総統に就任して共産党との和平交渉に当たったが、同年4月に首都・南京が共産党軍(中国人民解放軍)に奪われ、南京国民政府は事実上崩壊状態に陥った。これに伴い、共産党は南京国民政府が崩壊・消滅したと判断し、同年10月に中華人民共和国の建国を宣言した。

しかし、南京国民政府が崩壊状態に陥った際に蒋介石が崩壊しつつある政府を指導した為、南京国民政府は広州重慶成都を経た上で中央政府機構を台湾に移転することに成功した。その後、蒋介石は崩壊状態にある政府を再組織し、翌1950年1月に総統職に復職することで、台湾国民政府としての活動を本格的に開始した。その為に国民政府軍中国人民解放軍との戦闘は1955年まで行なわれ、その後も福建省沿岸の金門島において両軍が幾度か砲撃戦を行なっている。

なお、台湾移転後の中華民国の歴史については台湾国民政府台湾の歴史)を参照のこと。

[編集] 民族問題

中華民国を成立させた孫文を始めとする漢民族主体の革命勢力(共和主義勢力)は、清国の遺領全体を領域とする「中国」の枠組みで中華民国を構想し、1912年樹立の中華民国臨時政府(共和政権)を「中国」の「中央政府」として位置づけていた。しかし、1642年以来中央チベットを統治していたチベットダライ・ラマ政権、清末にモンゴル各地の諸侯が活仏を首班として組織したジェプツンタンパ政権は、『文殊皇帝が退陣したからには、これに臣属していたチベット、モンゴル、中国等の諸国はそれぞれ対等の別個の国家となる』という立場を取って中華民国への服属を拒否し、それぞれ外部勢力の支援を仰いで独立国としての地位の確立を目指した。(詳細はチベット,モンゴルを参照)

中華民国の歴代政府は、チベットやモンゴルに対し、清朝以来の位置づけを継承、理藩院に相当する機関として、北京政府は蒙蔵院、南京国民政府蒙蔵委員会1929年に設置してこれらの地域を統治下に組み込む為の工作を行なってきた。また、当時の列強諸国も「国の継承国家」として中華民国の政府が清国の遺領全体を代表することを承認した。だが、幾度か行なわれた軍事行動もチベット、モンゴルの両民族政権を屈服させるには至らず、それどころか1933年、1942-49年には新疆省が置かれている東トルキスタンにおいても独立共和国の樹立運動が発生するにいたった。

その後、中華民国・南京国民政府第二次世界大戦中の1945年6月に行なわれたソ連との外交交渉において、『ソ連が日本撤退後の満州中国共産党に渡さず、かつ新疆の独立運動を鼓舞しないことを条件に、国民投票による外蒙古の独立を大戦後の認める』と主張し、モンゴル人民共和国に関しては1946年1月に独立を承認した。(台湾国民政府1953年に独立承認を取り消している。詳細は中華民国におけるモンゴル(外蒙古)の扱いを参照のこと)また、チベット、東トルキスタン(第二次東トルキスタン共和国)についても、南京国民政府が1949年に崩壊状態に陥って台湾へと避難した為、中華民国の統治下に組み込まれることはおこらなかった。

[編集] 中華民国と台湾 (台湾の歴史、1945~1949)

台湾漢民族が多数居住している地域であるが、1895年以降は日本台湾総督府の統治下にあった。しかし、1945年に日本の連合国への降伏によって第二次世界大戦(当時の日本では大東亜戦争と呼称)が終結すると、日本軍の武装解除のために蒋介石率いる南京国民政府軍が台湾に上陸して来た。南京国民政府は、同年10月の日本軍の降伏式典後に、台湾の「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行い、カイロ会談における取り決めを根拠として台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。だが、行政公所の要職は新来の外省人が独占し、更には公所と政府軍の腐敗が激しかった事から、それまで台湾にいた本省人台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。

その際に、蒋介石は事件を徹底的に弾圧して台湾に恐怖政治を敷き、中国国民党の政治・経済・教育・マスコミなどの独占が完了した上で、1947年に台湾省政府による台湾統治を開始した。二・二八事件以降、国民政府は台湾人の抵抗意識を奪う為に、知識階層・共産主義者を中心に数万人を処刑したと推定されている。だが、1949年に蒋介石が国共内戦で敗れた兵隊、崩壊状態にあった南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきた為、これ以降は事実上蒋介石・台湾国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。

なお、南京国民政府はカイロ会談における取り決めを根拠に台湾を領有したが、カイロ会談の取り決めはあくまでも連合国の「立場表明」に過ぎず、国際法的に有効な「条約」ではない為、台湾の帰属に関する国際的な法的根拠にはならない。また、1951年日本が連合国諸国と締結した日本国との平和条約サンフランシスコ講和条約)では日本の「台湾・澎湖諸島における権利、権利名義と要求の放棄」(第2条第2項)しか取り決められておらず、更には日華平和条約においても「台湾における日本の領土権の放棄」(第2条)しか明記されていない。その為に、現在の台湾は中華民国が実効統治しているものの、国際法的には主権移転対象国(帰属国家)が不明確な状態にあることを根拠として、台湾の国際的地位は未定であるとする「台湾の地位未定論」が台湾を中心に唱えられており、泛緑連盟台湾独立派)と泛藍連盟(反独立派)との間で論争が生じる源となっている。

[編集] 中華民国の元号

中華民国では、建国年である1912年を元年とする中華民国暦西暦と併用していた。中華民国暦は現在の中国では使用されていないものの、中華民国政府が実効統治する台湾では今なお使用され続けている。なお偶然ではあるが、中華民国暦は日本大正と元年が一致している。

[編集] 関連リンク

[編集] 外部リンク


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